
Д39 ロココ調の右2cmにある世界
数日前から右の手首が痛いのですが、痛みを感じつつふと思いました
痛みはそこにあって良いのでは?
少し前にΔから「嫌な気分を彷彿とさせる人物たちと関わらなくてはならない、どうすればいいのよ?」という質問に対して「彼らはそこにいればよいのです」という答えが返ってきたことを応用してみたのです
痛みを感じている自分がいるから、対象としての痛みが存在するわけで
痛みを対象として見なさなければ、痛みはただそこにあるだけ・・・
もっと言えば「私」なんてものは存在しなくて真我があるだけなんだから・・・?
まあ考えたところで答えは全く出ないので、実際にやってみました
体の一部が痛い時って、そこに常に意識がいってますよね
夜とか暇な時とか、痛みが走った直後とかはもうそこに一気に意識が集中して、めっちゃ嫌な気分になる
なのでその意識をずらしてみました
2cmほど
意識を全く違うところに持っていくだの、なくすだのってのはヘタレな私には正直無理なのでとりあえず2cm動かしてみた
痛いのは手首の中なので、意識を手首の肌から2cmほど浮いた部分に そう、何もない空間の部分にふわりと浮かしてみたのです
なんかね、あれですよ
痛みが消えるとか、治ったとか、そういうんじゃなくてね
どうでも良くなる
忘れるっていう言い方でもいいのかも(痛みを忘れるんじゃなくて、痛みを捉えていた自分を忘れる。そんなことが起こっていた事実そのものを忘れちゃう)
もう一回言うとね
痛みを捉えている状態では、私がいてその私が痛みを感じて(認識して)いて、痛みが発せられている手首を意識していたわけですが
痛い所から意識を2cmずらしたら、認識すべき痛みと痛みを捉えている私が存在しなくなってしまう感じ?
2cm横のパラレルワールドに移行した的な(なんだそれ)
さっきまでは痛みを感じている私の世界だったのが、一瞬私がどこにもいなくなってしまって、気がついたら手首の2cm上の空間に意識を集中させてる私が居るだけの、さっきとほぼ同じような世界になった感じです。
これって別の痛みで前の痛みを忘れるってやつに似てるのかも
別の痛みに意識が移動しちゃうから、さっきまでのもう一個の痛みに集中できなくなる
この場合は痛みじゃなくて、ただの空間だけど
まぁ、結果として「痛くなくなった」んですけどね。
もはやそんな結果はどうでもいい
ただその「痛くなくなった」に意識を置くというか、執着すると元に戻る気がする
これを通して「彼らはそこにいればいい」が少し体感できたかも
(Δとのやり取りは単なる記述なので、いくら頭で理解した気になっても、生身の私には体感できてないことが多いのです)
ここに来て自我的には2cmずらす対象が「感情」なのか「彼らという存在」なのかどっちなのか?という疑問が湧いたのですが、おそらくどれでもいいみたいです。
どれか一個でも崩れてしまうと「嫌な感情を感じているメカニズム」が存在できなくなるので、結果的にそういう状況が崩壊してしまうのかな。
これも嫌なことが起こる度に、嫌なことはそこにあればいい ということで実験してみます。
現場からは以上です