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みんな離れるタイミングを知っている

残るもの、去るもの。

最近メルカリを売る専門で始めた。
引っ越しするにあたって
不要になったもの、
ココロもカラダもモノも
心機一転したくて本当に
全部ぜんぶ売ることにした。

出品をしていて感じることがある。

売れるものはすぐ売れるし、
残るものは残る。
コメントが何件かきて
いい感じのところまでいっても
「検討します。」と返事がきて残るもの。

この違いはなんだろうって考えた。

ただ単純に需要があるかどうかとか、
消耗品だからとか、
ブランド品だから...
そうやって考えてみるのも
一つの手かもしれない。

だけど、それだけじゃないような気もした。

家から駅まで歩いてるときに
ふと浮かんだこと。

すんなり売れるものは
きっとそこに執着もなければ
本当にもうわたしの元では
必要ないものなんだって。

ここで言う執着は
買ったときの「ほしい!」って
異様なほどの強い気持ちとか、
あんなに高かったのに〜とか、
大切な人からプレゼントされたとか、
なんかそう言う感じの執着。

愛着と執着は違うからな。

自分のモノになった瞬間から
人はそこに愛情を注ぐし、
そのモノと自分との間に
一種の思い出のようなものも生まれる。

その思い出が意外と
切るもの、切れるものを切れなくしてる。

大切にしたいなら無理に売らなきゃいいし、
スッキリさよならができるなら
スーっと両手をつけたまま広げて
空に手を向けるように上げれば
そのモノも気持ちよく
スーっと次のステージへ行ける。

売りたくても、残るモノには
意味があるし
その意味が今分からなかったとしても
「残った」ただこれだけに意味がある。

人間関係もきっと同じ。

離れてくもの、
去っていくもの、
それぞれに
それぞれの意味がある。

分からないようでいて
実はそれぞれの意味を分かっているから
そうなる。

ハッキリ自分で分かるまで
無理に分かろうとしなくてもいいんだ。

いつか必ず意味があったことに
気がつくのだから。

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