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重たくて痛みのあるのがにんげん

にんげんは重い。
重たいイキモノなのがにんげん。

重たい肉体を背負っている時点で
もうすでに重たい存在。

重たいイキモノだから
考えだって重たくなる。

重たいから足を引っ張られたり、
すっきりしなかったり、
なかなかクリアに散らず淀む。

だけど重たい存在で生きたいと、
重たいからこそ味わえる気持ちを
味わいたい、出来事を経験したいと
強く願って生まれてきた私たちがいる。

否定もできないし、
悲観する必要もない。
わざわざ重たい道を選ぶなんて
バカだと嘲笑うこともできない。

だって、そんなことできるのは
肉体を纏ってる私たちにんげんだけだもん。

「あえて」楽しいことも
辛いことも悲しいことも幸せも
その全部含めた
「痛み」を味わいたくて存在している。

重たいものがすきなんだ。

重たいもの云々をわかりやすくまとめて
痛みと表現しよう。

「痛み」が怖くて、
「痛み」を見たくなくて、
「痛み」を悲しく思って避けていた。

だけど、この「痛み」が
実は美しく愛おしいものなんだ。

そう思えたら人生が本当の意味で
開けて、全てが美しきものに変わる。

「痛み」はただの怖いものでも
目を背けたくなるものでも、
悲しいものでも、醜いものでも
汚いものでもない。

見るべき、受け入れるべき、
温かい眼差しを向けるべき、
美しく愛おしいものなんだ。

この世の痛み。
私の中の痛み。
大切な人の痛み。

この世にある全ての痛みをしっかり見て
なかったものにしないよう、
汚いものだとレッテルを貼らないよう、
痛みが痛みとして在り続けられるよう
抱きしめてあげよう。

痛みはとても繊細ナイーブ。
だからこそ
取り扱うのは少し難しいかもしれない。

だからこそ見捨ててはいけないんだ。

そう、
わたしの痛みは目の前の大切な人の痛み。
目の前の大切な人の痛みはわたしの痛み。
そしてわたしや目の前の人の痛みは
この世全部の痛み。

痛みは美しい。

痛みに触れ涙するのは、
その痛みが美しいものだから。

声が出ないほどの美しいものを見たり
触れたときに涙するのと同じで、
それほど美しいものが痛みなんだ。

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