自分の恋愛観について
「普通の幸せ」とは何だろう。
恋愛すること、性的なことを抱くこと、それを込みにした恋愛スタイル、結婚、出産、子育て、性的な交わり、姑関係など。一般的に女性が「適齢期」、「恋愛してから」ら「結婚してから」に遭遇すること、容姿、育った家庭、色々あると思う。
男性女性問わず、俺と付き合うのは構わない。
ただ、俺のことを選んでくれて付き合いたいと思ってくれてるのであったならば、俺に対して「普通の幸せ」は求めない方がいい、むしろ「普通の幸せ」はないと思ってもらった方がいい。
何故か、自分は複合マイノリティだから。恋愛も結婚も、沢山のハンデがある。
・発達障害(自閉スペクトラム症、ADHD)
・双極性障害(2型)
・失声、吃音の傾向。
・LGBTQ
(男性自認寄りのXジェンダー、広義のAroAce ※身体や戸籍は女性です。)
・諸事情で数年、ローンが組めない。
ざっとこんな感じだ。
俺は、令和というこの世相でもまだ世間一般で推奨されている、「普通の幸せ」を共有したり与えあうことはできない。
唯一共有できることは、「結婚」、「恋愛」、「パートナーシップ」。
日本人だけど、考えは宇宙人のような人と付き合うようなものだと思う。
(宗教の勧誘みたいな文章になっているけどそういうことではない、俺が歩んできた人生とそこについて回ることを総合して要約した話。)
特に女性らしさを求められる、夜のこと、子供を作ることを望むは最たる例。
その意思をもっている人のことは理解したいし尊重したいと思っている。
世間一般で推奨されている幸せの形は、「俺が今まで生きてきた人生を大きく揺るがして追い詰めてしまうもの」であると思っている。
その幸せに合わせるということは、俺の人生、今まで俺の身にあったことを無にして周りに合わせて生きていくことと同じになる。
俺も普通の幸せ(恋愛、結婚も、仕事)を求めようとしていた時期があった。
高校時代から20代の殆んどを費やした。
(2010年~2024年)
求めてもそれは現れることは殆どなかった。チャンスも自分から潰した。
そのストレスは浪費、女性的な自認が多く出た人間関係への依存行為に成り代わった。
その浪費行為や依存行為は、ズレやトラブルの温床となった。
その度に心も精神も擦れてって蝕まれてきた。貯蓄額を幾らマイナスにしたことか。いくら借りたことか。
「普通の幸せ」に憧れてたのに合わせていったら、失うものはとても多かった。
だから諦めるしかなかった。
この気持ちを分かってくれる人は、どれだけいるだろうか。
もしかしたら、恋愛と性愛が一緒になってる人達、普通の幸せの規範がしっくり来る人達には分かりづらいことなのかもしれないね...。
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