覚悟1/2 2022年12月27日の書き遺し

2022年12月27日 全てが終わった日でした。
今年の12月で、もう2年になろうとしています。
こうして文章を綴ってるのが不思議な感覚です。

最初は期間限定で公開しようと思いましたが、自分の傷が癒えるまで残しておこうと思います。

当時の状況
不動産投資詐欺被害対応と元交際相手の金銭問題絡み(恫喝)対応に追われて万策尽きた後に書いた内容です。
(あったことは全て事実です。今は全て解決しています。)
※それらしきことを沢山「匂わせて」います。
原文はFacebookに限定公開したもので当時書いていた記憶はうっすらとしかありません。
怨みも悲しみも怒りも全て込めました。内容も支離滅裂です。

まとめると、言いたかったことはこの二つ。
1 誰かに金銭的に助けてほしかった。
2 両親以外から金銭支援が欲しかった。

2年経った今も、あの傷は癒えていません。
この文章の中に、当時の私はまだ居ます。
資料はリスクを考えて掲載していません。
当時の文章そのままに書いているのでフラッシュバック等ある方は各々、自衛ください。
それでは、御覧ください。



序章
【経緯を説明するのがもう億劫なので感じたことをただ垂れ流す。】

予祝っていい気持ちで祝うと現実化が早くなるってスピ界隈では言われてます。ですが、その現実化を快く思わない人も一定数いる。
たった1人の言葉で現実化が大きく頓挫した話をします。正論という名のドリームキラーの餌食になって生きる力も希望も奪われた話です。

以下、駄文。
「宇宙銀行の鍵を開けられることを神々から許された」と名乗る人物が運営している予祝のFacebookグループに入っていた。
2022年10月3日に「40億円が入ってくる予祝」の内容、2022年12月7日に「今年のクリスマスまでに5000万円が入ってくる」予祝をあるFacebookグルーブに投げた。
そこは予祝をしても何でもOKな場所。
他に予祝やいいことの報告をしてるメンバーは沢山いてその投稿で溢れていた。その中、現実化になりそうだった一連の私の投稿には「怪しいので、気をつけて下さい。」のコメントに始まり、既読した人々達から伝わる「そんな馬鹿な話に騙されてるなんて哀れ」、「この人本気なの?」、「本当になったら凄いね、面白いね」言葉にするとそんな想念がとぐろを巻いていました。

嫉妬と興味本位で見かけてた人々、コメント投稿した方々、今の気分はどうですか?
自分の思い通りになったと内心、ほくそ笑んでますか?
よかったね。あなた達の願いが叶ったよ。

投稿された言葉しか見ることをしなくて、思いのまま言葉を投げたら、あなた達が一番望んでた「不幸」に当の本人が苛まれてるよ?一番のクリスマスプレゼントじゃない?

人の努力なんて知らないまま、一連の投稿を見て「こいつなに調子乗ったこと投稿してるの?」って嘲嗤っている人達に一縷の奇跡を望んで最大限の努力をして跑き続けた人の痛みや苦しみは一生分かるまい。

それじゃあ、ほんの少しだけネタばらししますね。
あの一連の投稿(5000万円が手に入る予祝~思わぬところから現実化しそうだった流れ)、
特に「思わぬところから現実化しそうだった流れ」の箇所は、コロナ感染して自宅療養中に書いていました。
(2022年12月14日~2022年12月21日)

体力と精神、免疫と戦いながら調子がいいタイミングを見計らって書いていました。
あそこに書き込むことで私も奮起の材料になりましたし、色んなことは想定していたけどそれでも励ましの材料に確実になっていました。
今、自宅療養は終わりましたが抗原検査では陽性反応が出ています。今も、後遺症が出るか出ないかの瀬戸際にいます。

コロナ療養中に思い付いたことも全部前向きに捉えていますがこういう事態もやってきたんですね。
このような不思議なグループに集まってきている人は皆同じ痛みを抱えているのだから親近感を少しもって心を許してしまったのがいけなかったのですかね。

例えは拡大解釈しますが、こういうような人達がいるから宝くじが当たった人がいても平然と振る舞う人が多いのだなとも感じました。
自分が同じ立場に立たされたら分かるかもね。その言葉が如何に人の生きる根を絶つ凶器になるか分かるから。

ここまで人の気持ちを挫くことができるのなら、他の人もいい報告の投稿や予祝の投稿をしているからその人にも「怪しいので気を付けてくださいね」って同じようなことを書けばいいじゃないですか。
でもあなた達はそこには書かないですよね?見かけないもの。そういう人の投稿には。明らかにコメントする文を選んでますよね。

何でいいことを報告してる人のスレッドには人の気持ちを挫くことができるコメントがなくて、私の予祝の投稿やそれが現実化になりそうな投稿にはコメントできるのかな?隙を突きたいから?

あ、自分より立場が上って思ってるからか。
20代の若そうな奴だから早いうちに現実見させてやりたいという老婆心からかな?だから平気でこき下ろすのか。

それってあなた達が憧れてるお金の法則とかそういうものが一番嫌う思想ですよ。その心が簡単に人の気持ちを挫く。

そんな言葉達が今までどれ程の人の命を奪い、やる気を奪い、才能を奪ってきた?
そんな人達や才能の芽が大量に奪われてやっと人々は気づく。
キリストの時代からやってること変わらないね。人間ってそこまで未発達傾向の高い生き物だったのか。そんなこと27年間生きてきて知りたくもなかった。

それとも何、私の願いが現実化したらコメントした人の人生に不都合なことでも生まれるの?
そんなの思い込みなんだよ。人の思い込みを証明するために夢に向かって努力してる人達のやる気を盗るなよ。
そういう思考の人に何を言ってもどんなに言葉を尽くしても通じないだろうけどね。
でもそういう思考の人ほど図太いから棚ぼたがやってきやすいのも一つの事実。

そんな人達がへりくだって宇宙の恩恵を受けたいですってグルーブSNSに入ってきてもバレバレなんだよ。甘く見るなよ。上の存在達を。
何で私は見えない世界の素人なのにこんなことを平気で書けるんだろうか。
私、無意識にそういう前向きな言葉発して人のこと動揺させたり気持ちの地雷踏みまくって怒りのトリガー引いてきて色んな人の嫌な気持ちや表情を経験してきたけど、ついにこのコミニュティの人達の一部の地雷を踏んでしまったか。

20分少しの動画を撮っただけで容量が一杯になって一枚のスクショも残せないタブレット端末と電池が1日で消費してしまうこのスマホ、私の意思もこの瞬間に全部線路に投げ出して粉々にしてしまいたい。
そうすれば私を嘲嗤って、私から振り込まれるお金を待ち望んでる奴ら、嘲嗤った奴らの思う通りになる。
今の私の状態を他人が観たら言うことは決まってる。そんな言葉、私でも判ってる。
幾ら善人と言われていても、人の転落した様や努力を馬鹿にして鼻で嗤い、ぶち当たった人の不幸に対して「何馬鹿な話に載せられてるんだ、それ見たことか、だから言ったろ?」と嗤ってる時点で人として最低な人達。
私はそんな人間にだけは絶対になりたくない。
そういう人達って口だけで決して動こうとしないから。
そんな人間にだけはなりたくないと思ってたけど、今の私はいい人の顔をして人の不幸を画面の向こうで嘲嗤っている人達の餌食になりかけてる、それははっきりした事実。

私の命の価値って5000万円だったんだね。
5000万円が年末までに手に入らないがために、いい人の顔をして人の不幸を画面の向こうで嘲嗤っている人達の餌食になって生きることを簡単に諦めちゃうんだね、私。
27年間、あっという間の残念な人生だったね。
人が生きることを辞めるか続けるかの窮地に立たされてる時ほど、相手の発する言葉に人間性も価値観も全て表れる。スピリチュアルも全部ね。

こういう時、スピリチュアルの法則はどういう形で私に恩恵をも垂らす(もたらす)のだろう。

1
優しい顔して「もう頑張らなくていいよ、もう声張り上げなくてもいいよ、無理しないで。あなたはあなたのままでいいんだよ。天や上は必ず見てる。あなたの味方だよ。誰かが助けてくれるよ。
助けを待つのではなく、自分から動いて。自分が周りを愛したら周りも自分を愛してくれる。試しているのは神ではなく自分だよ。」って正論を述べる人。
(そう言って相手に差し出した手はどんな仕草をしているんだろう。)

2
何も言わずに「あなたの道はあなたが歩むから私には何もできない。」と我関せずを決め込む人。

3
自分が言葉を吐けて相手より上に立てる人を巧妙に選び、投稿された言葉しか見ずに思いのまま感じたまま善かれと思って言葉を投げ続け内心は「こいつなに調子乗ったこと言ってるの?」って嘲嗤っている人。

大きく分けるとこの3パターンの対応を人間から取られ続けてきた。
スピリチュアルを騙った人間ども、スピリチュアルを嫌う人間ども、全てから今までだったら耐えられてた。
言われた言葉に対して「そうですね。あなたの言うことも一理ある。あなたの意見を尊重して取り入れます」としてきた。
でも、昨日ある人から直前の約束を無断で反古にされた。その事で私は弾けた。
(投資家を名乗る人から投資の依頼を受けていましたが融資込みのお話でした。
あともう少しで話がまとまった直前でLINEをブロックされました。)


思いの丈を書き最後の手紙をしたためた後、もう私は決めたよ。

正論、無関心、嘲嗤う言葉。
もう、永遠に私はその態度や言葉を受け取らない。
「私は瞬間瞬間、自分が発する言葉と自分の命を人生最後の手紙として質に差し出して世に問うていく」
って。
これは私が最後にできる最大限のリベンジだ。

昨夜撮った写真。

ギリギリまで手を伸ばして撮った写真。
(線路の写真です。)
一線を越えたと感じた。
この記事を書いた後、私はどうなっているか分からない。
虚勢ではない。本当にどうなってるか分からない。
「死ぬ気でやってみな、死なないから」という言葉があるけどあれは絶望が来ても乗り越えられた人が語ることを許されている言葉。
阻まれて邪魔され続け餌食になっている人にとって、その言葉は最後の一矢になる。
メメント・モリ
カルペ・ディエム
次の瞬間、死んでも後悔しない生き方を。
この言葉の通りに、生きてやる。





お読みいただきありがとうございました。

サポート、投げ銭大歓迎です。

大変助かります。よろしくお願いします。

追記
今公開されている映画、「ラストマイル」に似たシーンがあるようですね。

状況は違いますが、数奇な縁を感じました。
登場人物という架空の方ではありますが、彼、彼女の魂の安寧を祈らずには居られません。

2年前の12月、似たような手段で、「「自分を救ってくれなかった」、「自分を見捨てた」世界に復讐をしようとした」者の一人として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?