3分で人物史 | 《第5話》ロマノフ朝ラストエンペラーの母 - マリヤ・フョードロヴナ
1866年、19歳の時デンマークからロシア王室に嫁いできたダウマーことマリヤ・フョードロヴナ(マリヤはロシア正教に改修後の名前)。
マリヤが36歳の時、夫が皇帝に即位。
マリヤはロシア皇后となります。
6人の子供に恵まれ、1人は1歳で早世しましたが、他5人の子供は厳しい父と過保護な母マリヤの下で大きくなりました。
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◆長男結婚問題〜夫の死
さて長男であり次期皇帝のニコライ。
マリアはこの長男が結婚したいと言ってきた相手が気に入りません。
彼女の名前は、アリックスことアレクサンドラ。
幼少期に家族を亡くし、祖母ヴィクトリア女王がいるイギリスで育ちました。
早くに家族を亡くした事で内気な性格になり、それがロシアの社交界に合わないとマリヤは考えたのです。
(ヘッセ大公女アリックスことアレクサンドラ)
しかし、いつもはママに心配を掛けまいとする長男ニコライ、この時ばかりは彼女と結婚する!と譲りませんでした。
マリヤの夫・皇帝アレクサンドル3世の体調が日に日に思わしくなくなってきた事もあり、マリヤと夫は渋々2人の結婚を承諾します。
程なくして、夫アレクサンドル3世崩御。
マリヤ46歳の時でした。
◇
政略結婚にも関わらず、最期まで仲睦まじかったマリヤとアレクサンドル3世。
マリアは、葬儀の場でも取り乱す事なく「冷静に、勇敢に耐えていた」(長男ニコライの日記)そうです。
◆長男の即位、結婚式
アレクサンドル3世が死去したのが1894年11月1日。
そして同月26日、新皇帝となった長男ニコライは、念願叶ってアレクサンドラとの結婚式を挙げました。
この結婚式の日は、マリヤの誕生日。
一応、ニコライ的に母の顔を立てた形のようです。
その後ニコライは、毎年11月26日の日記に
「今日はママの誕生日で、
私たちの結婚◯周年だ」
と記しています。
◆皇太后として
さて長男ニコライは皇帝ニコライ2世に。
嫁アレクサンドラは名前をアレクサンドラ・フョードロヴナにしてロシア皇后に即位。
名前がややこしくなってきたので、もう1度整理しますね。
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さて新皇帝ニコライ2世は、父と違って何事も1人では決められない性格でした。
また妻のアレクサンドラは、マリヤが危惧した通り内向的な性格で全くロシアの宮廷に馴染めず。
しかも4回の出産で産まれた子は全員女の子。
後継ぎの男児を産めないこともアレクサンドラを追い詰めてゆきます。
◇
マリヤは頼りない息子夫婦に代わって、夫の皇帝時代には決して行わなかった政治に口を出すようになりました。
ここで彼女の持ち前である社交性や行動力が大いに役立ちます。
元々マザコンのニコライも何かにつけて母マリアの意見を求め、大臣達も「お母様にお聞きなさい」と促す状態だったとか。
◇
そんな中、ニコライ夫婦に待望の男児が誕生します。
しかし、ここでマリアが息子嫁に対して抱いていたもう一つの心配事が的中。
ここからロシア帝国は破滅に向かうのです――。
続きます。
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参考
残酷な王と悲しみの王妃 2 (集英社文庫)