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5分で人物史 | 《第1話》エリザベス女王の曽祖母 - アレクサンドラ・オブ・デンマーク

アレクサンドラ・オブ・デンマークは、デンマーク出身のイギリス王妃。

エリザベス女王のひいおばあさんにあたります。

美人の誉れ高く、その美貌で "イングランドのエリザベート" とも言われました。
(ちなみに2人は同時代の人間で、実際に会ったこともあります)

とは言え、大らかな家庭で育った彼女は英国王室のしきたりに馴染めないことも多く、姑であるヴィクトリア女王や夫方の親戚と揉める事もありました。

今回は、そんな彼女の生涯のうち誕生〜婚約までの18年間を見ていきます。全4話です。

◆子供時代

1844年、デンマークはコペンハーゲンの "黄色い館"デ・グーレ・パレで生まれます。

("黄色い館" ことデ・グーレ・パレ)

実家は名家ではあったものの決して裕福では無く、家はデンマーク王室から無料で借りていました。

アリックスは3つ下の妹と一緒に屋根裏部屋で暮らし、自分で洋服を作って着る生活をしていました。

家庭教師を雇う余裕もなかった為、教育は主に両親が行っていました。

(1856年のアリックスと妹ダウマー)

ちなみに、一家はあの有名な童話作家アンデルセンと知り合いで、彼は時々子供達に童話を聞かせてくれたそうです。



ところで、この様に金銭的に豊かでない家に生まれながら、何故アリックスはイギリス王室の目に止まったのでしょうか?


アリックスの父は生まれながらの王位継承者ではなかったのですが、先祖をたどるとデンマーク=ノルウェー王フレゼリク5世に行き当たります。

またアリックス母は、かつてのデンマーク国王クリスチャン8世の妹でありました。

(後列中央: 父、前列中央: 母、右端: アリックス)

当時のデンマーク国王に継承者がおらず、こうした2人の血筋からアリックス父が次期国王に選出されました。
アリックスが7歳の頃でした。

そして結婚適齢期になると、妹ダウマーと共に美貌の王女と呼ばれ、ヨーロッパ中から縁談が舞い込む様になったのでした。

(1861〜62年頃のアリックスと妹ダウマー)

◆夫との馴れ初め

アリックスとイギリス王太子バーティが婚約に至るまでの話です。


㇄王子の花嫁探し

舞台変わって、アリックスの誕生から13年あまり経った頃のイギリス。

当時の女王・ヴィクトリアとその夫アルバートは頭を悩ませていました。

(1859年のヴィクトリア女王)

女遊びが激しい問題児の長男、後のエドワード7世(愛称バーティ)に何とか良き結婚相手を見つけ、落ち着いて欲しかったのです。

(大学生時代のバーティ)

ヴィクトリア女王は、ドイツに嫁いだ優等生の長女・ヴィッキーに手紙を書きます。

「とにかく我々は何としてもバーティの結婚相手を見つけなければいけません。歳は彼より1歳か2歳以上若いのはだめ、美しく、物静かで聡明で分別のある人でなくては」
- express.co.uk


するとヴィッキーは、当時から大変魅力的と評判だった次期デンマーク王女アリックスを、弟の結婚相手に推薦します。

ところが、ヴィクトリア女王はこの縁談に乗り気ではありませんでした。

アリックスの出身国であるデンマークは、当時イギリス王室と親密だったプロイセンと領土争いをしていたからです。

しかしヴィッキーがアリックスの器量や気立ての良さ、素晴らしい資質について母に説明すると、女王も重い腰を上げて、息子とアリックスを会わせる事にします。

(1862〜63年頃のアリックス)

㇄出会い

1861年9月、19歳のバーティは軍事演習視察のためドイツを訪れます。
そして同月24日、バーティの姉・ヴィッキーのお膳立てによって、ドイツのシュパイヤーで当時16歳のアリックスと "偶然の出会い" を果たしました。

バーティとアリックスは互いを気に入ったようでした。
初めは乗り気でなかったヴィクトリア女王も、実際アリックスに会うと非常に好感を持ち、結婚の話も進みました。

(1862年のアリックスとバーティ)

㇄スキャンダルと不幸、そして婚約

しかし悪い事に、この後バーティがアイルランド出身の女優と性的関係を持っていた事が明らかに。
(アリックスと出会う前の夏のことでした)

更に追い討ちをかけるように不幸が訪れます。
ヴィクトリア女王の夫アルバートが、息子の結婚相手を見届けることないまま同年12月にこの世を去ったのです。

息子バーティの問題行動を諌めようと、病気を押して大学があるケンブリッジまで行った事が原因でした。


この事で母である女王の信頼を失い、一刻も早く身を固める必要性に迫られたバーティは、アリックスと翌年ベルギー王宮で再会し、婚約しました。

この時アリックスは、直前に亡くなったバーティ父・アルバートを偲び、黒く宝石のついてないドレスを着ていたのだそうです。


バーティは、アリックスについて母親のヴィクトリア女王に手紙でこう語っています:

「率直に言って、私は彼女のように人を愛することができるとは思っていませんでした。」
- express.co.uk


この時バーティがアリックスにプレゼントした指輪というのが、使われている6つの宝石の頭文字を取ると"Bertie” になるものだったそうです。
(ベリル、エメラルド、ルビー、ターコイズ、ジャシンス(ジルコンの一種)、エメラルド)
英語で"acrostic ring” と言うそうです。

◆旅立ちの日

イギリス王太子バーティと婚約した数ヶ月後、アリックスは結婚のためデンマークからイギリスに旅立ちました。

コペンハーゲンから発つ際、大の仲良しである妹ダウマーは涙を流して別れを惜しんだそうです。

アリックスの60年余りに及ぶイギリス王室での生活が、今幕を開けようとしていました――。

(コペンハーゲンの港 Bob Collowan, CC-BY-SA-4.0   Wikimedia commons)




次回はアリックスの結婚式にまつわる話をお伝えします。
挙式会場ににブーイング?
ヴィクトリア女王の意見をふんだんに盛り込んだウェディングドレスとは? 


参考

EXPRESS
HISTORY TODAY
The History Press
・Wikipedia: 日本語英語

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