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3分で人物史 | 《中編》シシィの姪- エリザベート・ド・バヴィエール

1876年 バイエルンのヴィッテルスバッハ家に生まれたエリザベート。(名前と家系は同じですが、ここではミュージカルで有名なオーストリア皇后とは別人です


眼科医の父とそれを手伝う母を見て育ちます。
名家の生まれにも関わらず 貧しい人でも分け隔てなく診察する両親の影響で、エリザベートは身分や人種で人を差別しない性格に育ちました。

そんな彼女が20歳の時、ベルギーのアルベール王子と出逢います。

これは運命の出会い⁉︎思いきや、当時アルベールが思いを寄せていたのは別の娘。

しかしその娘との結婚は政治的に見て宜しくないとベルギー国王から反対されます。



失望していたアルベールでしたが、アルベールの姉アンリエットはエリザベートの事を気に入っており、何とか弟の結婚相手にしたいと画策します。
さて2人は結ばれるのか?

↓詳しくははこちらです↓

◆2度の再会〜婚約

アルベールの姉アンリエットの計らいで、エリザベートはアルベールと再会します。

それはアンリエットの邸宅があるヌイイ=シュル=セーヌ(パリ郊外の高級住宅地)で実現しました。



アンリエットとエリザベート、そしてエリザベートの妹マリーは、互いに打ち明け話や笑い話をしたりして親交を深めました。


一方、アルベールの母は変わり者揃いで不幸な亡くなり方をした人物が多いヴィッテルスバッハ家から嫁を迎える事には賛同する気になれませんでした。

しかしエリザベートが23歳の4月、パリ万国博覧会で再会したアルベールに結婚を申し込まれます。

当時のベルギー国王レオポルド2世の同意を得て、翌月5月に2人の婚約が成立しました。


◆結婚、出産〜王妃に即位

婚約から5ヶ月後の1900年10月2日、2人はミュンヘンで挙式しました。
その後、男女3人の子供に恵まれます。

第一子: 1901年11月3日 レオポルド(長男)
第二子: 1903年10月10日 シャルル(次男)
第三子: 1906年8月4日 マリー=ジョゼ(長女)

(エリザベートと子供達)




1909年12月、先代国王の崩御に伴い 夫アルベールがベルギー国王に即位。
エリザベートはベルギー王妃になりました。

◆第一次世界大戦中の活躍

夫の即位からおよそ5年後、第一次世界大戦が起こります。

ここからが、エリザベートの本領発揮です。
彼女は子供達と一度イギリスに亡命しますが、その後1人ベルギーに戻ります。

そして王宮の一部を病院に作り替えたのです。
更に国境近くのデパンネにあるホテルにベルギー最大の病院を開設します。

(第一次世界大戦中のエリザベート)

エリザベートは金銭的援助だけではなく、自ら現場に赴いて兵士達にタバコやチョコレートを差し入れしたり、負傷兵の手当てを行いました。



また治療にあたる看護師達への感謝表明を行い、医療職の地位向上に貢献します。

眼科医の資格を持っていたエリザベート父が 親戚筋のウィーン宮廷から鼻で笑われる程、当時の医者の地位は高くないものでした。
(第一話 参照)

また芸術への関心が高かった彼女は、病院でコンサートや演劇の上演会を奨励。

更に国内の画家26名の兵役を免除。
彼らの作品を購入して、創作活動のモチベーションアップに繋げました。

続きます。

↓続きはこちら↓

参考

Wikipedia:  日本語フランス語
visitflanders
1914-1918 online

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