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お菓子な歴史・サバランとババ

年のせいだろうか、いまいち違いが分からないカタカナの名前がよくある。
サロペットとオーバーオールとか、ズックとスニーカーとか、コンフィチュールとジャムとか。

サバランババもそのひとつ。
いずれも「ブリオッシュをお酒の風味がついたシロップに浸し、クリームやフルーツで飾り付けた西洋菓子」を指すのだが、並べてみても違いがいまいち分からない。

サバラン↓


ババ↓


Savarin↓


Baba↓



また、フランス菓子・料理研究家で多数の著書をもつ大森由紀子さんは、ご自身のブログの中でこう述べていらっしゃる。

ピエール エルメをのぞいたら、形はサヴァランだけど、名前はババでした。生地は同じだけど、この二つは形が異なる。そこだけで、フランスではサヴァランの形してもババと呼ばれているものが多い気がする。もはや、ババもサヴァランも堺がなくなってきているのである

ババサヴァランか?
原文ママ・太字は筆者


なるほど、本来サバランとババは形が違うが、現代において厳密な区別はされていないようだ。
サバランかババか、それは問題ではないらしい。



それにしても、フランスではババと呼ばれているものが多いと書かれているが、日本はその逆で「サバラン」の名前で売られていることが多い。
その理由を考えてみたのと、気になったことを調べてまとめてみた。

素人調べなので正確な所が分からなかった点もあるが、お菓子好きの方に楽しんで頂ければ幸いである。

(久々にnoteを書いたら、〜である調にも関わらず5000字ほどの長文になってしまったので時間に余裕がない方はご注意を💦)

18〜19世紀の文献に見るサバランとババの違い

サバランとババの違いについて端的に書かれているのは、1893年に出版されたLe Glacier classique et artistique en France et en Italie。
古書の情報サイト「日本の古本屋」によると、"菓子職人の伝記、製菓の歴史、氷菓の製法に続き、アイスクリームやシャーベット、飲み物のレシピ406種を収録。"しているのだそう。

著者のピエール・ラカム。
パリ在住のパティシエだった
Public domain / Wikimedia Commons



この中に、こんな文章がある。

Le Savarin et le Baba.
Le savarin brilla par son sirop et le baba par ses raisins.

Le Glacier classique et artistique en France et en Italie
p.52

サバランとババ。
サバランはシロップが特長で、ババはレーズンが特長である。

ネットを駆使した拙訳。
間違ってたら誰か教えてください


そう、19世紀後半において、サバランはレーズンを用いずシロップをかける、ババは生地にレーズンを入れるという違いがあったのだ。
この本にはそれぞれのレシピも掲載されているが、

  • サバラン
    →生地にブドウをいれない
    →仕上げにシロップをかける

  • ババ
    →生地にカシス(クロスグリ)とレーズンを加える


と明記されている。

またこの本より13年まえの1880年に書かれたレシピ本にも、
サバランは仕上げに煮詰めた砂糖と水、風味づけにお酒を用いたシロップをかける
ババはマラガ産ブドウやカシスを入れると書かれている。



このブドウの類を入れる入れないの区別は、そのまま日本にも輸入されたらしい。
1920年に出版された『仏蘭西料理献立書及調理法解説』にはこう書かれている。
( * は筆者による補足)

SAVARIN サヴアレン
Savarin à l’Algérien
(*アルジェリア風)
Maraschino (*リキュールの一種) syrupに浸したるSavarin border(*不明)に、鳳梨 (*パイナップル)の薄切りを置き、Cream custardを詰め、頂へ落花生の刻み物を蒔きてBrke(*Bakeの誤記か)する。

鈴本敏雄 著『仏蘭西料理献立書及調理法解説』
p.477

Baba au Rhum
Currant (*カシスの英語名) を加へて調製したる"Yeast cake”をRum syrupに浸す。

同p.439〜440



また1923年に出版された『仏蘭西料理全書』にも、ババの材料のみ"乾葡萄"の表記が見られる。

パート ア サヴァラン(Pâte à Savarin)
(*サヴァランの生地)
材料ざいれう─麦粉百三十、バタ百鶏卵けいらん個分こぶん酵母かうぼもんめ砂糖さたうもんめかるあたためた 牛乳ぎうにう 六勺ろくせき

秋山徳蔵 著『仏蘭西料理全書』
p.1472〜1473

パート ア ババ(Pâte à baba)
これは、材料ざいれうに麦粉百三十、バタ七十鶏卵けいらん個分こぶん酵母かうぼもんめ砂糖さたうもんめ、および乾葡萄(コリントとスミルナとを半々はん/\で)二十六もんめり、「パート ア サヴァラン」の場合ばあひと全て同様どうやう 方法ほうほふつて 捏上ねりあげ、乾葡萄ほしぶどう砂糖さたうとは 最後さいごくはへよく 混合まぜあはせてもちひられるのであります。

同p.1473


これで、かつてサバランとババはそのレシピに若干の違いが見られたこと、
日本にはサバランとババの両方が伝わっていたことが分かった。

それでは何故、両者のうちサバランが定着したのだろうか。
もう少し時代を遡ってみよう。

日本におけるサバランの広まり(想像含む)


フランス・パリでババ(或いはババオロム - ババのラム酒浸け)が売り出されたのは1835年
その10年後にサバランが考案された。

詳しくは別の拙記事にて↓


そしてフランス菓子が日本にもたらされたのは、サバラン誕生から30年あとの1870年(明治3年)ごろと考えられる。

この年、明治天皇より「これからの重要な宴席料理はフランス式に」とのお言葉が出された。
それを受けて、宮内省の大膳職である村上光保が 横浜で洋菓子店を営んでいたフランス人サミュエル・ペールに師事することになる。

横浜商館天主堂ノ図
ペールが営む洋菓子店があった
横浜・山下居留地八十番の風景を描いたもの。
メトロポリタン美術館所蔵・Public domain



村上家の記録は関東大震災で消失してしまったとのことで、光保がペールからサバラン或いはババの作り方を教わったのかどうかは分からない。

しかし、彼がのちに開いた洋菓子店「村上開新堂」では、今でも"カスタードクリームと苺ジャムを入れ、ラム風味シロップに漬けたブリオッシュ"(村上開新堂HPより)が販売されている。

この菓子自体は 3代目村上二郎(光保の次男)が考案したものだが、明らかにサバランをアレンジしたものと考えられる。
初代光保がペールからサバランのレシピを教わり、それが村上開新堂に受け継がれてきたと考えてもおかしくないだろう。

(サバランっぽいお菓子を含む詰め合わせの案内はこちら↓)

なお、この村上開新堂は日本初の日本人による﹅﹅﹅﹅﹅﹅洋菓子専門店である。
その為、創業当初からサバランが売られていたとすれば、日本人が初めて売り出したサバランという事になる。



更にもうひとつ、ペールに縁があり 現在でもサバランを提供している菓子店がある。

それが、ゴーフルでおなじみの東京凮月堂
この店は、番頭の米津松造が凮月堂より暖簾分けを許され、1872年 東京日本橋区両国に開業した「米津凮月堂」が前身となっている。

この米津松造は、番頭時代 フランス菓子で盛り上がる横浜へ情報収集に訪れていたそうだ。
自身の店を持つ1872年以前と考えると、ちょうど村上光保がペールに弟子入りしていた頃だろう。

横浜海岸通りの風景(1870年)
現在の山下公園付近。
メトロポリタン美術館所蔵・Public domain



更に、この米津凮月堂に1875年雇われたのが谷戸俊二郎(ダジャレではない)。
ペールが営む洋菓子店で働いていた人物だ。

残念ながらサバランが創業当初から米津凮月堂で販売されているのかは不明だが、ペールが米津や谷戸にレシピを伝え、彼らが売り出した可能性も無きにしもあらず。

なぜババが広まらなかったのか(想像)


ではなぜ日本ではサバランが定着し、類似品のババは流行らなかったのか。
これについて、ひとつの仮説を考えた。
それは、「ババに使われるレーズン(乾葡萄)が明治時代の日本では入手しづらかったのではないか」というものである。

unsplash より


19世紀後半のフランスで書かれた文献によると、サバランとババの違いのひとつにレーズンを含むか否かがあることは既に述べた。


このレーズン、現在日本では8割以上をアメリカからの輸入に頼っているらしい。
そしてこのアメリカでレーズンの大量生産が可能になったのは、1870年代後半とのこと。
明治天皇の「これからの重要な宴席料理はフランス式に」とのお言葉でフランス式の料理や菓子が重用されるようになったのが1870年なので、その少し後のことである。

しかしこの大量生産は、日本への輸出を見込んだものではなかったようだ。
その証拠に、1923年に出版された『仏蘭西料理全書』の中で、ババの作り方の項にこう書かれている。

材料ざいれう
(中略)乾葡萄ほしぶどう(コリントスミルナとを半々はん/\で)

『仏蘭西料理全書』p.1473
太字は筆者

コリントはギリシャ、スミルナはイスミールつまりトルコの地名である。
20世紀に入っても、まだアメリカ産のレーズンが一般的でなかったことがうかがえる。

アメリカ産レーズンが使用された最も歴史ある洋菓子と考えられるのは、小川軒のレイズンウィッチ
昭和中期(S20〜27/1945〜1952頃)に誕生したこちらのお菓子は、同社のHPに「カリフォルニア産レーズンを使用」と明記されている。

ここから徐々にレーズンが日本で一般的になっていったのか、

  • 昭和40年代 
    藤むら「れえずんくっきい」

  • 昭和46年
    帝国ホテル「レーズンブレッド」

  • 昭和52年   
    六花亭「マルセイバターサンド」
    東京凮月堂「レーズンビスキー」


など、現在まで受け継がれるレーズン菓子が続々と生み出されるようになる。
同じくレーズンを用いる(と定義されていた)ババは、少し日本に伝わるのが早すぎてサバランの方だけが定着したのではというのが個人的な考えである。




とは言え、最近では日本でもレーズン入りババを売り出す店を見ることができるようになった。
一部ご紹介しよう。

トシ・ヨロイヅカ「ババ・オ・レザン」
(期間限定品)


アディクト オ シュクル「ババオロム」


サロン・ド・テ アルション「ババラムレザン」


余談・サバランのこれから

2024年7月現在、ダイナースクラブ フランス パティスリーウィークが開催中。
2021年以来 日本人にも馴染み深いスイーツをテーマに開催されてきたイベントだが、今年のテーマは「サバラン」


イベント公式インスタグラム では、全国各地のパティシエが作り上げた「新種のサバラン」がずらりと並ぶ。

ジンや日本酒、ビールなど、お酒にこだわったサバラン、
紅茶を使用したノンアルコールのサバラン等々、サバラン通の方でもおやっと目を留めたくなるラインナップ!

なお個人的に気になるのは、石川県のパティスリー・ミュゼ ドゥ アッシュ カナザワで販売されている、能登のロゼワインを使った「サヴァラン ルージュ」と、長野県にあるパティスリー エクレールの「くるみとラム酒のサバラン」


この中から、今後定番商品として末永く受け継がれる味は出てくるのだろうか?
#サバランさん同好会 会員No.5としては、是非ともその行く末を見守りたい所である。

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参考

吉田 菊次郎著
日本人の愛したお菓子たち 明治から現代へ (講談社選書メチエ) 2023.3.9

・Gallica BnF
Le glacier classique et artistique en France et en Italie
by Lacam, Pierr & Charabot, Antoine
Date d'édition :  1893

・Internet Archive
Le parfait patissier : recettes pour la ville et la campagne entremets sucrés, patisserie, confiserie, glaces, liqueurs, vins en futs et en bouteilles, cidre et poiré
by Dumont, Emile
Publication date 1880

・国立国会図書館
仏蘭西料理献立書及調理法解説
鈴本敏雄 著/ 奎文社出版部(大正9)

仏蘭西料理全書
秋山徳蔵 著/ 秋山編纂所出版部(大正12)

・横浜開港資料館
横浜のフランス人商会と開拓使


村上開新堂

カリフォルニア・レーズン協会

・小川軒
元祖レイズン・ウィッチ
巴裡 小川軒の歴史

帝国ホテル東京
藤むら
六花亭
東京凮月堂

#サバランさん同好会
#至福のスイーツ

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