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3分で人物史 | 《第4話》ロマノフ朝ラストエンペラーの母 - マリヤ・フョードロヴナ

長年に渡る農奴制に反発した国民から爆弾テロを仕掛けられ崩御した、ロシア皇帝アレクサンドル2世。

その後は息子のアレクサンドル3世が皇帝の座につきます。
彼の妻マリヤ・フョードロヴナは、デンマーク出身でロシア国民からも人気の美しい皇后でした。

(マリヤと夫アレクサンドル3世)



皇帝夫妻とその子供達は、民衆が再び蜂起する事を危惧して郊外の安全な宮殿に身を寄せていました。

皇后マリヤは元々明るく家庭的な性格で、宮殿での家族との日々は穏やかに過ぎていきました。

しかし、ある時期から少しずつ歯車が狂い始めるのです――。

(マリヤと夫、子供達)


《今までのお話・詳しくはこちら》
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◆ボルキ鉄道事故

1888年秋、一家が乗っていたお召し列車が脱線事故を起こします。

この時アレクサンドル3世は、そのがっちりした体格で妻マリヤや子供達を崩れかかって来た車両の屋根から守り抜いたそうです。

この脱線事件は、テロでは無く事故だと公式に発表されています。


ここで終われば美しい家族愛の話なのですが、アレクサンドル3世はこの時の怪我が元で身体がみるみる弱っていきます。

◆大津事件

さらに3年後の1891年、23歳になった長男ニコライが日本を訪問中、護衛の巡査に斬りかかられるという所謂「大津事件」が起こります。

(日本を訪問中のニコライ)



幸い命に別条はなく、ニコライは当日のことを日記で詳細に振り返っています。

その中で彼は
「愛するパパとママを心配させないよう、(事件について)どう電文を打ったものか」
と憂慮していました。



しかし、結局ロシアで知らせを受け取ったマリヤはその場で失神してしまったそうです。

マリヤは子供達の中で特にニコライを可愛がって育てていたそうなので、無理もないですね。

余談ですが、京都ホテルグループさんのHPにこの日のニコライの日記が詳しく掲載されていました。(長いのでリンクのみご紹介)

マリヤに甘やかされた結果なのか、そのおぼっちゃま振りというか浮世離れしている様子が垣間見えて興味深いです。↓


◆子供達の結婚問題

マリヤはまた、年頃の息子娘たちの婚約者候補にも頭を悩ませます。

《長男ニコライ》
ヘッセン大公女アリックスと結婚したい!
→内向的で未来の皇后に相応しくない✖︎ 

《長女クセニア》
1890年頃(当時15歳)9歳年上のロシア大公と結婚したい!と言い出す
→まだ早い✖︎(結局4年後に結婚する)

《四男ミハイル》
妹の女官と結婚したい!
→庶民だからダメ✖︎

《次女オルガ》
1901年、14歳年上の公爵と結婚→1916年に離婚、別の男性と貴賤結婚

(次女オルガに関しては、元々マリヤと折り合いが悪かったため早くに結婚したと言われています)

中でも長男ニコライの結婚話には苦労しました。

彼が結婚したいと言い出したお相手は、イギリス・ヴィクトリア女王の孫娘。
美人は美人だったのですが、内向的で精神不安定な面がありました。

これは幼少期に家族を相次いで亡くした事が原因と言われています。

(ニコライが結婚を熱望した、
ヘッセ大公女アリックス)


イギリス王室に嫁ぎ、お相手のことをよく知るマリヤの姉アレクサンドラもこの結婚に反対。

しかし、ママ大好きお坊ちゃんのニコライもこの時ばかりは譲りませんでした。

彼は当時の日記にこう書き記しています。

私は一途に彼女を想っているが、ママは私が別の女性に心を移すことを願っている…
私の夢はいつの日かアリックスとむすばれることだ。
-Wikipedia より

※アリックスはお相手の名前

息子の結婚に悩む間に、夫の体調もどんどん悪くなっていきます。

マリヤはこの局面を乗り切れるのでしょうか?

次回、長男が皇帝に即位。
皇后になったのは誰なのか?

続きはこちら
↓↓↓

参考

残酷な王と悲しみの王妃 2 (集英社文庫) 


Wikipedia 日本語

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