5___児童精神科、初受診

病院の場所は巣鴨。自宅からは1時間くらいかかるが、やっと予約の取れた病院だった。
初めて巣鴨に降りて、南口を探すのに手間取った。慌てなければ分かる事なのに、緊張と不安のせいか「こっちじゃない!あっちだ!」と小走りで移動して南口を出たら、長女が居ない。
常日頃、お風呂入りなさい歯磨きしなさいと同じくらい言ってる事、それは「歩きスマホはやめなさい」だった。その日もずっとスマホを触っていた長女は、気付いたらわたしが居なかったと。電話してイライラしながら長女を呼んだ。さっきまで横に居たのに!居なかったらビックリするでしょう!スマホしまいなさい!と怒鳴った。うん、わたし怒鳴った。すっと怒鳴らないように怒らないようにしてたのに、増した不安と緊張を現地で味わいながら、振り向いたら長女が居なくてカッとしたんだ。スマホばっかりいじってるからでしょうが!って。
長女は「わたしは悪くない、何でわたしが悪いの?ママが勝手に行っちゃったんじゃん」と。
深呼吸して謝った。公衆の面前で大きな声を出してごめんね、でも振り向いて居なかったら心配するでしょう?と。

1回行けばわかる所に病院は建っていた。小さなワンフロアで新しい雰囲気ではないけど、緊張するような雰囲気もないふつうの病院だった。
予約時間を30分過ぎて呼ばれた。その30分がとてつもなく長く感じた。母子ともに診察室に入り、このまま始めそうだったので別に聞いてもらいたいと言ったら長女から始めましょうと、わたしはまた待合室に戻った。長女はわたしが居ると話したい事を話せないと思ったから。
次にわたしが呼ばれて交代した。どうやら長女は「朝具合いが悪くなるから学校へ行けない」と話したそうだ。この事はTwitterで「本当の事を話せないから朝起きれないせいにしてしまった」と綴っている。
わたしは許可を得てスマホにまとめたメモを見ながら相談した。紙に書いてもしも長女や長男に見られたら困るからだ。おおよそこれまでにここに書いて来た問題を話した。

以前の自分の記事を読み返して気付いたけど、長女の恋について書いてなかった。この恋心を寄せる相手あってのリストカットや市販薬過剰摂取だったんだ。それはTwitterを読んで知ったのだけど、長女は既婚者の担任を好きになっていた。
過呼吸になった時になった時に救ってくれた担任を好きになり、既婚者という事もあって絶対に叶わないとわかってはいるけれど、好きだと伝える事も出来ない。その苦しい気持ちを気付いてもらえない、自分はこんなに苦しいのに傷付いているのに、、、気付いてほしい、そこから始まったリストカットだった。傷や包帯が見えれば気付いてくれる?もっと切れば気付いてもらえる?と綴っていた。
市販薬過剰摂取は、本当に体調を悪くさせるために登校前に飲んでいた。本当に体調が悪くなれば、本当に担任に心配してもらえるからという魂胆。精神科医は静かに傾聴してくた。
あと心配なのは、SNS上での虚言が酷い事について。わたしが死ね、今年中に死ねと言っただとか自分が毎晩夕飯を作っているなどの事実無根の事もあれば、過剰に付け加えて自分をより可哀想に演じたり。なぜありのままの自分で親友と呼ぶネ友と接しないのか、それは裏切りのような行為だと思ってないのか不思議だと話した。
精神科医は「自分で脚本を書いて女優でいるんでしょう、SNS上で。」と、そこまで重要視してないようだった。わたしは嘘をつらつらと吐いて、親友と呼んでる子に心配をさせる事が悪いと思わない長女が詐欺師のように思えた。

次に話したのはただの愚痴のようにも聞こえる長女の困った所だった。
前日バス内でモバイルバッテリーを忘れそうになり、長男が気付いて拾ってくれたんだけど、
「お姉ちゃん忘れてるよ」に対し長女は、
「あぁ。」と低い声で一言。
わたしは第一声「気を付けなよ!」
長女は「え、わたし何で怒られてんの?わたし悪くなくない?」
モバイルバッテリーを失くしたらスマホ依存の長女は困るのに、長男が気付いて拾ってくれたのにありがとうでもなければ「危なかった〜」という慌てた様子もなかった。「あぁ。」その一言で受け取った事について精神科医に、
「ふつう、そんな状況で自分は悪くないなんて言わなくないです?」
と言った。そこに精神科医は反応した。
「お母さんはどうして気を付けなよと言ったんですか?」
「え。ふつう、気を付けなって言いません?」
「それはどうしてふつう、なんですか?それはふつう、なんですか?」
わたしはその時、
(普段365日娘と接してないからそう言いたくもなるわたしの気持ちがわからないんだ、あーなるほど、弟が拾ってくれて良かったねぇって言うべきたったとでも言うんだろう)
と、瞬時に声無き心でつぶやいた。
その通りだった。
「そういう時は"あって良かったね、失くさないですんで良かったね"と言えばいいんです。
お母さんはなんだかんだ娘さんを悪く言いますけど、全然悪くないですよ。」

あぁ、わたしは長女の文句を言ってるだけだと思われてるんだ。

こういう場面でこういう解釈や反論をされるから困ると実際あった事を話して、娘が気難しい事やちょっと人とは違う思考になる事を知ってほしかっただけなのに、第三者からしたらこれはわたしの文句に聞こえてるのか、、と冷静になった。そこからはわたしが傾聴した。

精神科医はわたしにとても大きな助言をくれた。それはきっと今後一生教訓にする一言。

『ジャッジをしない』

わたしは何でもジャッジをする、と。
後で改めて調べたら、ジャッジとは判決・判定・採点などを指す。
超ーーー腑に落ちた。わたしそれだわ。
これはだめ、それは危ない、こうした方がいいなどとダメ出しするし、どこかでわたしは長女をジャッジしながら育てていたのではないかと納得した。
バスにモバイルバッテリーを忘れた件も、気を付けなよ!=長女が悪い事をした、と判定したも同然。やはりそこはわたしが変わって、やーだー!失くさなくてよかったね!と同調し、バスやタクシーで忘れ物すると取りに行くの面倒なんだよー、ママ何回かあるもん。と自分の経験談や失敗を例に出して、わかりやすく伝えるべきなんだと。なんにしろ「失くさなくてよかった」事、何よりも気付いてくれた弟にありがとうだよという事を。
たぶんこういった頭で考えるより口が先に出てしまう瞬間を直すのが、めちゃくちゃ難しいんだと思う。気を付けなよ!と言った当時のわたしはまったく悪気は無い。しかし悪気は無かったではなく、あの時こう言えばよかったんだよねと後で長女に話したり、ママは自分で失敗した言い方の場面を覚えてるよと反省も兼ねて「話す」事はすごく大事なんだと思った。
長女を大事に思ってる事を「話す」時に、言葉にしたら小さな花が咲くような感覚がお互いに芽生えたら有益な時間になるのではないか。吐き捨てるような批判で終わらせたら、ただ空気が悪くなるだけなんだ。

『ジャッジをしない』
わたしはこの日からこの教訓を念頭に長女と暮らしてる。そのためには冷静さと精神的余裕が必須で、我が子をサポートする親である自身の心身の健康が必須。そして、人間として少しでも良質な成長をするために反省し、心の整理をつけてごめんねと言葉にして伝える、、結局はまず「自分から見直す」「自分の長所も短所も過去も認める」作業が必須だと思った。
歳を重ね大人になると凝り固まった概念で「自分は今までこう生きて来た」とばかりに、相手に自分を押し付けたり委ねたりするような気がする。
「言われて嫌なら言われないようにすれば?」といった感じで相手が変わるべきと委ねたりする。それは育児ではないし、教育とは言わないのだと気付かされた。


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