3___絶対ダメの境界線。

前回からの続き。

リストカットの形跡を発見、学校の先生方と面談、その後は不登校気味になった。
わたしはスクールカウンセラーとも面談、過呼吸になったのが原因で予期不安があり、学校へ行きたくないのではないかと言われた。
先生や友達に迷惑をかけたくないという言葉が何度も出て来て、それは独り言のように綴ったノートにもたくさん書かれていた。
大好きな担任に迷惑をかけたくない、心配かけたくない、でも気付いてほしい、抱きしめてほしい、と。
Twitterのアカウントを見つけ出したわたしは、ひっそりと監視するようになった。本人からしたら最低最悪の行為だと思うけれど、長女を理解したい気持ちが強く、またリストカット以上に危ない事をしているか心配だったので見張る事にした。いまだにそれは続けているが、長女にとってSNSの世界は悪影響に満ち溢れているが、決してそれだけではなく、本音を吐ける居場所の1つとして必要としている事がわかった。スクールカウンセラーにもその事を伝えた上で、カッターもSNSも取り上げるつもりはないと話した。制限する家族はたくさんいるだろうけど、手首切るから刃物を奪う、悪い情報を得るからスマホを奪う、それは何の解決にもならない。では、過食症の人からは食べ物を奪えるか?自殺願望のある人を全員拘束しておけるか?出来ない。奪ったり取り上げる事は簡単だけど、その人にとって本当の意味でためにならない。奪う事は奪われる事に過ぎないから。

不登校については、学校へ行きたくないのなら行かなくていいよと言った。長女は「まさかママがそう言うとは思わなかった。絶対に行けと言うと思った。」と驚いていた。
わたし自身、中学時代は不登校だったから、行きたくない気持ちはよくわかった。なんにしろ行きたくないのに行っても仕方がないし、行きたいと思って行くのが学校だと思う。ましてや長女の場合は大事に思ってる先生や友達に迷惑をかけたくないという負い目があったから。予期不安というものも分かる気がしたから。

わたしがなぜ中学時代不登校だったかというと、自分の軽率な発言が原因で友達が離れて行ってしまったから。そして、両親が小5の時に離婚し複雑な環境で育ったため「大人」は全員敵だと思った。親も先生もみんな嫌い。わたしを分かってくれる友達も居ない。誰もわたしを分かってくれない、1人の方がいい、、と家に引きこもった。父子家庭で育ったわたしは、朝方父が仕事へ行くと自由だった。父は働き詰めで朝方帰宅しても出勤がその日の8時や9時の日もあり(現場仕事で不規則だった)、そんな日は学校へ行ったふりをした。制服を着て通学バッグを持ち、真冬の公園のベンチでやり過ごした。当時はケータイも無かったから、本当にキョロキョロやり過ごすだけ。寒くて足先の感覚が無くなって、パパ早く仕事行ってくれー!と思ってた。
今思えばよく補導されなかったなと思うが、駅方面の本屋で数時間立ち読みもしたし、私服でヒトカラもしていた。今から20年以上前のヒトカラなんて言葉が無かった時代に、中学生が1人でカラオケなんて変人そのもの(笑)信じらんない!恥ずかしくないの?って時代に、わたしは3時間1人で歌ってた(笑)
あとはひたすら詩を書いていた。自分の心情を吐き出すかのように。それは束になるほどたまったけど、結婚してから捨てちゃったな。元夫に見られて過去は葬ろうと思ったんだ。今じゃ1番葬りたいのは元夫だけどね。
ひたすら詩を書いたりひたすら寝て過ごした日に母親に会ったんだけど、
「あんた自分の顔、鏡で見てみな!精神科行けば?!」
と、怒鳴られた。
わたし喘息で息苦しくても1人でタクシー乗って病院行ってたんだ。子供なのに。そこヤブだったんだよね。精神科に行けばよかったわ。

そんな感じで不登校経験者だから長女の不登校も受け止めれたのですが、一応聞くわけですよ。明日は行く?と。はじめは週3・4くらい行けていたので。長女は「行きたくないのに行くかって聞かれても困る!」「やっぱり行けって事なんでしょ!」と怒ったけど、毎朝学校に連絡しなければならなかったので、休むなら休むと決めてほしかった。欠席や遅刻の事前連絡は先生方への礼儀だからと何度も話しては揉めた。長女はクラスメイトとLINEをしていると「やっぱり明日行こうかなー」と笑っていたりしたので、それでわたしは「どうする?」と朝起こして確認していたのだけど、なかなかそこが伝わらなかった。長女的には、行けるもんなら行きたい、行くべきなのもわかってる、わかってのに聞かれる、とプレッシャーだったのだろう。
だんだんと出席日数は減り、出席しても遅刻。今では週1、よくて2で3時間目辺りから出席してる。

いくら穏やかに接しようと心がけても、売り言葉に買い言葉で大口論になる事もあった。でもわたしが学んだのは、謝る事。自分から謝るようにした。あとは通勤中、思いの丈をLINEで送った。冷静になって本音と反省と謝罪をした。直接話し合ってもその場ではらちのあかない事もあるから、そういう時は時間を置いてメッセージで送るのも正解な時がある。

仕事で平日居ないわたしは、引き続きTwitterを監視していた。案の定、と言ったら悪いけどリストカット以上の事をしていた。
市販薬の過剰摂取。
もうこれを知った時はそっちーー??とプシューーーって感じで全気力が抜けた。
薬は違くない?それはダメじゃない?って少し笑っちゃうくらい参った。参っちゃったよ。
これまた自分は自分はって言い方になっちゃうけど、わたしはこんなに自分を抑えて発言にも気を付けて毎日我慢してるのに、それでも長女のため長女のためって試行錯誤してるのに、あんたはわたしが汗水流して働いた金で金ブロがぶ飲みしてんの?!と、裏切られた気持ちになった。学校行きたくないなら行かなくていいよ、リスカを止めろともママは言わないよ、と精一杯味方になっていたけど、薬は絶対にダメでしかない。
部屋を探ってもゴミ箱をひっくり返してもシートや箱がない。あ、ビンか!と気付いた。
本人に薬の事を切り出したきっかけは、床にころんて1粒落ちてたの(笑)さすが片付けれない女、、タイミング頂いたわとばかりに切り出した。そのタイミングが違う件からの流れだったから、お互い大号泣で終わってしまったんだけど、、、この後もビューラックやルルを購入してはひっそりと飲んでた。薬の件で叱ったのはこれまで3回。1番疲れる。

去年の夏からの事をざっと書けたかな。この辺りで年末に移ります。アパートの更新時期で引っ越す事にした。今住んでるアパートは中学校から徒歩5分くらい。少しでも通いやすいようにと密かに願ったけど、3月になる現在も週1くらいの遅刻登校。不登校児の母としても板についてきたよ。笑

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