後半戦に向かう先
40歳になったとき、自分にも「人生の折り返し地点」が来たと、意識するようになった。
これからの時間は、これまでの人生の前半戦で、出来なかったことをする時間。美しく老いるための時間。笑って死ぬための。
生産性のない怒りは必要ないし、誰かを恨んだり、誰かの悪口を聞いたりしたくない。もう醜くなりたくない。穏やかに、良い人生にしたい。
たくさん笑って、感動して、怒るのならば、誰かのために。
こういう理想を頭の中に抱えて、日々を生きる。
しかし、人生に登場するのは自分だけじゃなかった。コントロールできない他者が、当然存在する。
身内の心の関係がシンプルじゃない私の周辺では、誰かがしばしば日常的に泣き叫ぶ。怒り、憎み合う。気づくと私も一緒になって叫んでいる。
こんなはずじゃなかった。私は頑張っているのに。
可笑しいくらい醜い。
こんなにも負の感情を持ってしまったら、ますますブスになってしまう。私は1番辛かった15年前くらいの時期の記憶が、ぽっかりと抜け落ちている。こんなに辛い年はないだろうと年末を迎え、また365日後に、今年が人生で1番辛かったと1年を振り返る、を、繰り返していたあの頃。やっとせっかく自分が忘れても、隣の人がその扉を開けたら、手を伸ばして私の足を掴み、離さない。足をすくわれた私は、まんまと一緒に真っ暗な扉に向かってしまう。未だに、抜け出せない。
これは自分の問題だ。弱さだ。誰かのせいにする代わりに、弱い自分を、そっと許して、労って。続く一歩が、明るいところに向かっていると信じて。
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