東近江市長の発言を不登校支援者が考察
こんにちは。早野です。
今日もお読みいただきありがとうございます。
今日は今話題の東近江市長の発言についてです。
怒り心頭な意見はたくさん見ますので
感情論はそちらにお任せして私なりに考察してみました。
★議論の前提
議論の前提として「教育と国家」の知識が必要です。
日本の現在の教育は国家主義的教育(の名残り)です。
明治以降、植民地にならないために富国強兵を目指した。
それに伴い学校が誕生したわけです。
自由主義的教育をして植民地になるくらいなら
国家主義的教育のほうが100倍マシでしょう。
戦後も焼け野原から豊かになるために学校がありました。
焼け野原の民衆は涼しい部屋で豪華な飯が食いたかった。
それには製造業でバンバン輸出して、
外国から石油やら肉とかを輸入しようと。
そのためには優秀な技術者、労働者を輩出しようと。
そのための学校でした。韓国などは今でもこの感じが色濃いですね。
自由主義的教育をして経済的植民地になるくらいなら国家主義的教育のほうが100倍マシでしょう。
対して、アメリカなどは移民国家で州ごとに昔は別々の国でした。
民族も宗教も価値観も仕事も場所によって全然違う。
州の法律上の位置づけも日本とは違います(伝聞ですが)。
また、腰掛け気分の移民も多い。
少なくともそういう気質は残る。
なので、教育も良くも悪くも自由でした。
そういうわけで、アメリカには多様な教育があります。
ホームスクール(家庭学習)もあればサドベリースクール(大人が学校で指示しない)もあればなんでもござれ。
ただ、アメリカには自己責任の文化があり日本人向けには多少のアレンジが必要でしょう。
また、日本のフリースクールも理想郷ではなく、関係者や保護者は相当に勉強されていると感じます。
歴史的背景を踏まえると
東近江市長の国家の根幹発言は「一理はある」でしょう。
とはいえ、
★国家の根幹はもう既にガタガタ(笑)
現代ではグローバリゼーションが進み国という単位が
微妙だとはよく言われます。
例えば、一人当たりGDPが高い国は人口が1千万人前後です。
シンガポール、北欧諸国、スイス、カタール、香港。
日本も東京だけで独立すればもっと上位に入れるでしょう(笑)
教育でも北欧諸国の評価が高いです。
しかし、人口の多い日本の場合、
港区の中学生と長野の中学生を一緒に論じるのは無理があると思います。
現代では経済政策でも教育政策でも国という単位は微妙になってしまった。
なので、
港区はシンガポールをお手本とし長野はフィンランドをお手本とする。
そんな感じの地方分権が求められている、
とは昔から言われ続けています。
長野奥地の小学生に小1からサピックスに通わせるのは無理があるでしょうし、
港区の小学生に北欧のような世界観を植え付けるのも無理があると思います(笑)
そもそも六本木とか教育に悪い(笑)
また、国は大きな問題に対処するのにも中途半端なサイズです。
コロナは各国の協力が必要でしたが、
日本政府には手が余るようでした。
環境問題も国単位ではどうしようもありません。
多国籍企業の課税負担逃れの問題も国単位ではどうしようもありません。
ゆえに貧富の差もどうしようもないでしょう。
グーグルとかフェイスブックとかは独占禁止法違反な気もしますが、
一時期のEUくらいしか取り組まなそうです。
日本は公正取引委員会が落ち目のジャニーズやヤフーニュースに注意するくらいが関の山。
多くの親がユーチューブやオンラインゲームの規制をしてほしいと思っているでしょう。グーグルさんの商売至上主義は私は不快です。私は大変お世話になっておりますが(笑)
東近江市長様にはグーグルや任天堂に立ち向かっていただきたいものです。
立花さんのように「フォートナイトやゲーム実況動画から国民を守る党」とか作ったら富裕な政党になるでしょうし国家の延命にも貢献できると思いますよ(笑)
というわけで、親の責任以前に国家の根幹はガタガタなのでした(笑)
川の流れには誰も逆らえません。
そもそも政治でどうにかできる、という発想が古いのではないかと。
いかなる権力者でも自動車やスマホが無い時代には戻せないでしょう。
ましてや日本では総理にも大して権力が無いのですから(笑)
★個人個人で頑張るしかない
そういう意味では「国には頼れない」時代です。
貧乏だから工場作ってみんなで頑張ろう、という時代は良かったのです(笑)
みんなで同じ目標を共有できた。
今はそんな時代ではありません。
個人個人によって事情が大きく異なります。
さて、国という単位も中途半端ですが、
不登校という単位も中途半端です。
小学生の不登校と高校生の不登校は違いますし、
札幌の不登校と沖縄の不登校も違う気がします。
ADHD的な子の不登校とASD的な不登校の子も違うでしょう。
男の子と女の子でも違いますね。
そういう意味では個別の対応が必要だと思います。
どうしてもそれぞれに事情が違う。
また、お腹いっぱいご飯を食べたいという単純なニーズでも無い。
なので、冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、
現代は個人で研鑽を積み、試行錯誤して、責任は自分で取るしかない時代です。
かつて、国や民族がいろいろなものを与えてくれた時代がありました。
道徳などの生き方を教えてくれ、生きがいや夢や人間関係を提供してくれた時代が。
でも、今の子に国家主義的な教育をして工場や戦場に送り込むのは無理でしょう(笑)
(とはいえ、個人的にはこう思います。人は急激な変化には耐えがたいので今の社会制度は残しつつゆるやかに地味に変わっていくのが望ましいと。)
今の中国や北朝鮮、昔の東欧諸国のように情報を統制するのも無理でしょう。情報化による権威の失墜は逆にますます加速しています。電通にジャニーズにNHKに。
★こんな時代に必要なのは自己肯定感
この流れはますます進み「個別化」はより進むでしょう。
不登校の子でも10年後、20年後の差は鮮明になるはずです。とてもひとくくりにできたものではありません。
これは私にも政治家にも教育者にも如何ともできません。
こんな時代に役立つもの。それは自己肯定感でしょう。
自己肯定感とは「どんな時も自分が自分の味方である。」ということです。
変化の激しい時代。良い時もあれば悪い時もあるでしょう。
でも、自分だけは自分の味方であり理解者である。
その上で勇気を持って理想を描きつつも現実的に努力していく。
そうすれば納得の人生が送れるのではないでしょうか。
思えば、不登校の子が暴言を吐いても警察沙汰になっても家出しても親は子供の味方です。
そういう意味では不登校のお子さんは十分に幸せ者ではないでしょうか。
現代はお金と名声や学歴やがあれば幸せという時代ではなくなってしまっています。仕事柄、不幸なお金持ちをたくさん見てきました。
でも、逆に貧乏になれば子供がハングリーになるわけでもない(笑)
研鑽を積みつつも勇気を持って試行錯誤して責任は自分で取る。
そこで役に立つのは自己肯定感でしょう。
お互い自分自身に正直に自分自身の味方でありましょう!!
ではまたお会いいたしましょう。最後までお読みいただきありがとうございました。
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