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排除しない世の中
誰もが排除されない世の中。
それを理想と掲げている、、、にもかかわらずだ。
今日、自分の中で、思いもがけない発見があった。
私は、自分の感情の中でも、どんな感情も排除しないということが、よいものだと思っていた。
それなのに、今日、自分の過去を洗いざらい書き出している時、これまでは肯定的に向き合おうと思っていた悲しい過去や傷を、
「これは、ありえへん!」
「自分だけが悪いわけではなかった!」
と自分のこころの中から引き剥がそうとしていた。
好きな人のことも、好きだからこそ、その人と出会ってよかったと、幸せな時間を過ごせてよかった、と思い込もうとしていたし、今までそうしてきたのだが、冷静に書き出すと、自分のせいとは言い難い部分も多い。
すべて肯定する必要はない、のか?
明らかに、自分の中で、
「排除すべきもの」がある。
それを知った。
それは、自責の念。
「自責」
自分で自分の過ちをとがめること。また、自分に責任があると考えること。
「デジタル大辞泉より」
冷静に判断し、自責の念を持つことは、大いに良い。
しかし、何でもかんでも自分のせいなのか?
明らかにおかしなことがあって、それを「そうだ」と受け入れてしまっていいのか?
自分の害になると判断したものは、注意深く排除しなければならない。
行き過ぎた自責の念も1つ。
でも、矛盾が生まれてしまう。
誰もが排除されない世の中。
それは、どう導いていくものなのだろう。
今後、しばらく考え事のテーマにしたい。
続きます。
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