わたしが見たい景色
子どもたちを取り巻く環境をよりよくしたい。
子どもが生き生きと自分らしく輝いている。
だれ一人として、その子の光を消えぬことのないように。
尊敬している東井義雄先生の詩で大好きな詩がある。
掲載先:「東井義雄記念館」 https://toui-yoshio.org/touikotoba
東井義雄先生をご存知のない先生方がいらっしゃれば、ぜひ著書を読んでいただきたい。本当にぜひ!
そんな学校になれば、なれば、と思って続けてきた教員生活は、そう簡単なものではなかった。
子どもを取り巻く環境は、今や本当に厳しい。学校そのものも、だ。これは、学校のあり方におけるものが大きい。
そして、環境は「物的」なものだけではない。「人的」なものも「環境」の一部である。その「人」が、今や、苦しみの真っ只中にいるような気がしてならない。
子どもたちを取り巻く環境、人的なものでいうと、親、先生、地域の人たち。
今は地域社会が崩壊しているといっても過言ではないから、親や先生が子どもたちに多大な影響を与える。
核家族化が進んでいる現代では、子どもと関わる大人が格段に少なくなった。それは言葉を変えると、一人で背負う負担が以前より格段に増えたというわけだ。
ならば、「家族を支えたい」と思った。
特に、プレママから幼少期の子どもをもつ親たち。
初めは、必要な情報や知識を与える必要があるのではないかと思った。いかに3歳までの時期が大切な時期であり、後戻りできないのかということ。相談できるラインをなんとか作りたいとも思った。
しかし、今は違う。自分の立ち位置が変わった。
「教えていかなくては」と強迫観念に似た「足し算」の意識から、「もとのあり方に戻そう」という「引き算」の意識へと。
「教育する」という語源は、ラテン語の「educates」で、その言葉は「e(外へ)」と「ducare(導く)」という言葉の組み合わせからきているらしい。
そうなると、教育の本来の意味とは、何か与えて教えるということではなく、それぞれが持っている能力を信じ、それを生かせる形に導いていくということになる。
子どもを取り巻く大人たち、それぞれが自分らしくあれるように、自分の心の中を縛っているものからゆるんだり、解き放てたり、そんな体験ができる手助けができたら。
一言でいったら、
「もう少しゆるまろうや」
「気楽にいこうや」
そんな、感じ?
でも、思いは変わらない。
子どもたちを取り巻く環境をよりよくしたい。
子どもが生き生きと自分らしく輝いている。
だれ一人として、その子の光を消えぬことのないように。
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見たい景色の具体像は、今頭の中でおぼろげだったり、なんとなく形が見え始めていたり、いろいろ構想を練っている最中です。また進捗を、このnoteでもお伝えできたらと思います。