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アダルトチルドレンだったわたしが精神的に自立するまで。
昨日、夫と話題になったこと。
5年前のこと。
夫と出会ったばかりのことだ。わたしは父親をこわがっていた。
自分の思いを話せない。話そうと思うと震える。挙げ句には泣き出す。逆に苛立ちを爆発させることもあった。
そんなわたしだったけれど、今、はっきりと両親から精神的に自立したと言い切れる。そのきっかけになったのは何だったのだろう、という話だ。
✳︎
思春期に入る頃、両親が頻繁に喧嘩をするようになった。
それまでは家族円満。絵に描いたような幸せな家族だったと思う。わたしは父親のことも母親のことも大好きだった。その二人が喧嘩をしているというのは、わたしにとって大きなショックだった。言い争いは絶えることなく、家庭は冷え切った場所に変わっていった。
わたしは徐々に自分の殻に閉じこもるようになっていった。両親が喧嘩をすることも、自分のせいだと思うくらい精神的に追い込まれていた。
「自分に生きる価値がない」
「自分を好きになれない」
「人を信じることができない」
そういうふうに思うようになったのは、その頃の心の傷を癒せなかったことによる。
今まで、自分の過去を明文化してこなかったのは、「家族の不仲」を原因だと思いたくなかったからだ。でも今なら書ける。もう完全に抜け出せたからだ。
「家族の不仲」が原因だとしよう。だが、そこに逃げていたのは自分自身。
自分をさらけだすのがこわくなった。だから自分の殻に閉じこもる方が安心。
裏切られたり愛してもらえなかったりする日がくるのなら、はじめから信じなければいい。希望をもたなければ、絶望を感じなくて済む。
極論を言えば、そうやって逃げていた。自分で選んで逃げていたのだ。
「どんな状況、環境にあっても、今ここから自分で未来を創り出すことができる」
今はそう断言できる。
でも、過去の自分も否定しない。自分の心を守ることで精一杯だったんだ。
「がんばったね自分」と背中をなでてあげたい。
✳︎
成人になった頃だろうか、何かの書籍を読んでいて「アダルトチルドレン」という言葉を知った。
アダルトチルドレン(AC)とは、子どもの頃に親や養育者など家族から受けたトラウマによって、大人になってからも自身が生きづらさを感じながら生活している人のことです。
正直言って、愕然とした。
特徴を読んでみたところ、自分と当てはまる部分が多かったからだ。
わたしは何かしら異常を抱えた人間であると、突きつけられた気持ちになった。
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さまざまな「アダルトチルドレン」の形があると思うが、すべて共通するところは、親からの精神的な自立ができていないことに問題があるという点だと思う。
しかるべき時期に親からの愛情を受けることができなかったことが原因で、親の愛情をいつまでも求めてしまう。
親の期待にこたえようとする。
親に認めてもらうために行動する。
親の意見にしたがう。
つまりは、依存状態にあるということ。
わたしは、依存状態から抜け出すのにかなり苦労した。思春期から始まり、結婚後ようやく終結した。もうかれこれ15年近く…
昨日の夫との会話の中で、自分の過去を振り返ってみて、大きなきっかけになったことを考えてみた。
・実家を出る
・退職する
・移住する
一言でおさまっているが、そこに、さまざまな葛藤や悩みがあったことは想像していただけると思う。簡単にできることではなかったし、長く時間がかかった決断もあった。でも「自分の心で選んだ道を歩いていく」ことをあきらめなかった。
過去の自分の勇気が、今幸せを実感できているわたしへと導いてくれている。
さらに夫と出会ってから、加速度的に精神的に自立できた。
・ありのままの自分でいても愛される。
・無条件に愛し愛される。
・どんな自分も受け入れてくれる。
そんな相手と出会えたことも幸運だった。
夫に出会う以前は「愛される価値がない」と決め込んでいたので、恋愛関係になっても破滅的な恋愛ばかりだった。相手に依存し、自分の言いたいことを言えず、相手の期待に答えようと必死だった。
少しずつ内面を変える努力をし、精神的にも安定してきた。そのタイミングで出会ったのが夫だったのだ。
あと、いつもわたしの味方でいてくれた存在も忘れてはいけないだろう。
・音楽
・本
精神的に孤独だったわたしの心を励まし、温めてくれた存在だ。いつも求めればそばにいてくれる。
絶望を極めていたとき、どれだけ音楽に救われたことだろう。新しい希望を見出そうとしたとき、どれだけ本に支えられただろう。音楽と本だけは、これからもわたしの人生に欠かせない存在であり、自分の心の在り処を思い出させてくれる存在だ。
✳︎
わたしはもう父親をこわがっていない。普通に会話ができるし、言いたいことも言える。父親の考えを理解しようとするが、自分と異なる価値観を持っていることも受け入れられる。親の期待に無意識にこたえようし、自分の意見がどこにあるかわからなくなっていたこともあったが、今は自分の意志で行動し決断することができる。自分が自分らしく幸せであれることが、期待にこたえる人生を送るより、本当の意味で親孝行だと思えたからだ。
最後にひとつ言いたいこと。
わたしは決して不幸だったと思わない。「家族の不仲」が自分にもたらした影響ははかりしれない。
しかし、それによって得たもの、気づけたこと、出会えたものも多くある。それは、自分にとってかけがえのないものだ。
きっとこの経験がなければ、音楽を聴いて心から涙することもなかっただろうし、夫と出会って深くおたがいの内面を理解しようとすることもなかっただろう。
だから、どんな経験も自分次第で「ありがたいもの」に変えることができる。
わたしは心から、この家族の子どもに生まれてよかったと思っている。
そして、この経験を希望に変えて、ひとりでも多くの家族が幸せになれるよう貢献することを今後の人生をかけて取り組んでいきたい。
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