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第44回・花火が消えたあと
幼稚園の頃、お泊まり会があった。
読んで字の如く、幼稚園にみんなでお泊まりしましょうというイベントだ。
後日、先生は「この間のお泊まり会の思い出を、絵に描いてみましょう」と言ったので、私たち園児は、それぞれの思い出を画用紙にクレヨンで描いた。
周りの子たちは、かき氷を食べている絵を描いたり、花火をしている絵を描いていたりしていたが、その中に、1枚だけ画用紙全面が黒のクレヨンで塗り潰された絵があった。
その1枚が、私の思い出だ。
先生からも母親からも、「なんでこんな絵を描いたの?」と聞かれた。
怒られていたのか、心配されていたのか、ただ大人が動揺していたのか、どれともとれないが、どれにも当てはまるような様子だった。
適当に描いたわけでもなく、ふざけたわけでもなく、困らせようとも思ったわけでもない。
「思い出を描きましょう」と言われたから、正直に思い出を描いた。
それだけだ。
その黒い絵には、最初はみんなと同じように、楽しかった思い出をしっかりと描いた。
ただ、寝る時間になり、明かりが消え、真っ暗になった瞬間に、楽しかった思い出の全てが、怖さで上書きされた。
真っ暗で、何も見えなくて、さっきまであんなに楽しそうにしていた周りの子や先生も、みんなが黙ってしまったことが、怖くて怖くて仕方がなかった。
その恐怖が強烈な思い出だった。
だから私は、楽しかった思い出の上に、黒のクレヨンを重ねたのだ。
怖かったのは事実。
私は何もウソをついていないし、指示に逆らってもない。
お泊まり会は『楽しいモノ』だった。
『楽しい』だけしかなかった。
大人は、そう思っていたのかもしれないし、そう思って欲しかったのかもしれないが、私はあの日から『恐怖』という感情を覚えた。
あの日以来、私は部屋を暗くして寝ることが出来なくなった。
部屋の明かりを点けていないと寝れず、自室にテレビが置かれるようになってからは、テレビも消せなくなった。
非エコ人間のエゴ人間である。
ただ、このまま恐怖に感じたことを書き続けて終わらせると、後味が悪い。
最後くらいは明かりを点けて、話のテイストを変換して終わらせよう。
現在は、真っ暗にしても寝れるし、むしろ真っ暗な方が寝れる。
結婚を考えるようになり、パートナーと同棲をし始めてからだから、10年ほど前からである。
最大の覚悟と安らぎを感じれるようになったから、目に見えなくて、得体の知れぬモノに恐ることがなくなった。
いずれ私にも死は訪れる。
もし、死んでしまったら…そのあとに、私はあの世で黒のクレヨンを手にするのだろうか?
楽しかった人生を塗り潰すだろうか?
たぶん、それは無いだろう。
その恐怖さえも越える、強さを知ったから。
では、明かりを消そう。