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【生きのびる日記】うまくはいかない休日

某チェーンカフェのエビカツが無性に食べたくて、きのうの夜から「明日は◯◯◯でお昼ごはんを食べよう!」と決めていた。

駐車場に着いた瞬間、嫌な予感がした。平日のモーニングの時間帯の3倍くらいの車が停まっていたのだ。店内に入ると、お客さんが10〜15人ほど列を作っていた。案の定激混み。

「イトウ 1名 カウンター」と記入してから20分以上待つ。が、私の前にはまだ5組のお客さんがいる。カウンターは5席も空いているのに案内してもらえない。

待つことに飽きた子どもが、イスをガンガン蹴っていてうるさい。厨房の食器もガチャガチャと大きな音を立てて耳を塞ぎたくなる。もういいや。日曜日の昼に◯◯◯へ来た私が悪い。25分ほど待ったところで、記入表に「帰りました」とメモを残してその場を去った。

少しでも◯◯◯感のあるものを求め、パン屋へ行く。手に取ったのは、カレーパンとサンドイッチ。エビカツはなかったけど、しょっぱい系のパンや揚げ物感を味わえたので、なんとかささくれ立った心を立て直すことができた。

その後は足湯をしながら書き物をした。じぶんジカンさんの「年末ノート」だ。これは一年の振り返りをするための小さなノートで、利用してから今年で4年目になる。

がんばったことや大変だったことを振り返ってみると、今年はネガティブケイパビリティを求められる年だったと思う。

詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。日本語訳は定まっておらず、「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する。

Wikipedia ネガティブ・ケイパビリティ

周りの出来事によって感情を揺さぶられたり、もともと考えていた仕事で思うような成果が出なかったりと、地味につまずくことが多かった。現実は揺れ、未来も見えない。

「30歳のわりに社会人経験が足りないからこうなるんだぞ」と言われているような気もしたが、年齢を気にし始めたって仕方ない。27歳の頃の方が上手くいってたって、何もおかしくない。人生は右肩上がりで良くなり続けることが当たり前だとでも思っていたのか?自分よ。確実に上がっていくのは、年齢という数字だけだ。

以前、noteを500日以上毎日更新していた時期がある。自分の言葉を外に出すことで、心身のバランスが取れていたように思う。また日記風のnoteをたくさん更新しようと思い、このマガジン「生きのびる日記」を立ち上げてみた。

「生きのびる」というワードを選んだ理由は、2つある。

1つ目は、わたしがこれまでの人生で頑張ってきたことは「生きのびること」に集約されるから。

不登校や発達障害、新卒フリーランス、田舎暮らし。どのワードを辿っても、それは前向きに出会ったというよりは、生きのびるためにやりくりしてきた中で最後の砦のように出会ったものたちだ。

社会の真ん中の道からぽろっとこぼれ落ちたら、いつの間にか名前が付けられていた。私と似た人を探したら、そういう生き方をしていた。

死なないための暮らしを、なんとか成立させてきただけ。それを言葉にすると「生きのびる」がしっくりきた。

人様に誇れるような活動を頑張ってきたわけでもなく、人生を前向きに謳歌してきたわけでもなく。内申点は低かったし、年金を払えない時期もあったけど。なんとか生きのび続けてきた。

2つ目は、好きな著名人も「生きのびる」というワードに関わっているから。

坂口恭平さんの著書『生き延びるための事務』。

土門蘭さんの著書『死ぬまで生きる日記』は、生きのびるブックスさんから発売されている。

「性質が似ているなぁ」と思いながら眺めていた著名人が二人も「生きのびる」のワードに関わっているので、わたしも「生きのびる」を拝借した。

今日は10分間の散歩をしたり、2時間も足湯をしたり、身体に良さげなことをした。これも、イライラ・モヤモヤしがちな気分を落ち着けながら、生きのびさせてくれる小さな習慣だ。

仕事のこと、田舎暮らしのこと、頭の中の困りごとを書いていきたい。ここ最近はモヤモヤすることを言語化してこなかったので、ずいぶん溜まってると思う。


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伊藤七 | ライター
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