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寒さの記憶

Twitterで「寒さと不安は似てるから気をつけろ、温めろ」といった投稿を見かけた。本当にその通りだ。

寒いだけなのに、世界から自分ひとりだけが追い出されたような、とんでもない孤独を感じる。親族が全員同時に亡くなって、誰も頼れなくて、街にいるすべての人がわたしより幸せそうに見える。という妄想が始まる。

全財産が急に0円になり、しかも親族が全員亡くなってるから誰も頼れなくて、みじめな気持ちになる。という妄想が始まる。

親族が全員同時に亡くなることは考えにくいし、もし仮に亡くなったって生きる術はあるのに。「ただ寒い」というだけで最悪の妄想が始まり、不安感で気分が落ちに落ちるから不思議だ。

温めたり、人と話したりすれば回復するんだろうけど、今はまだ秋になりたてほやほやだ。怖いもの見たさで、もう少し寂しさと共存してみたくなった。

寒いなぁ、と思いながらNetflixでオーディション番組を観る。寒いなぁ、と思いながら「寒い」と日記をつける。寒いなぁ、寒いなぁ、と思っているうちに、中学3年生の不登校時代の記憶にアクセスできた。

たぶん今頃の季節だった。当時は秋田に住んでいたから、もう少し気温は低かっただろう。不登校に突入しかけた不安定な時期。彼氏と別れたり、受験勉強が本格化したり、畳みかけるようにストレスが降ってくる。ストレスが自分のキャパを超えて、いつもゆるゆるとした曖昧な死にたさに包まれていた。

眠れないまま迎えた朝、ふと海へ行きたくなった。彼氏と行った海だ。当時は「辛すぎるときは意識を遠くに飛ばす」という超能力のような祈りのような儀式をやっていたのだが、海はそれをやるのにちょうどいい気がした。ハングルのゴミが打ち上げられた砂浜から、寂しい日本海を眺めて、海の向こう側へ意識を飛ばす。それをしたい。海に近づけば、ゆるゆるとした曖昧な死にたさが、もう少しくっきりして、ちゃんとした死にたさにレベルアップするかもしれないし。いずれにしても、海に行く理由としては十分だ。

朝6時。川と林に挟まれた誰も通らない道を、海に向かって自転車で進む。10月の秋田は、プーマのジャージじゃ頼りない。海風が耳に当たって、寒いというより、痛い。不登校で体力も地の底まで落ちていたから、自転車を漕ぐだけでもキツい。日本海から吹き込む風にやられて身体が動かなくなる。とうとう自転車を漕げなくなってしまった。秋の早朝、かれこれ30分は漕いだだろうか。川と林に挟まれた誰も通らない道で、15歳のわたしは凍えて動けなくなってしまった。

ケータイの電波が入るところから親に連絡すると、車で迎えに来てくれることになった。助かった。朝6時に一人で出かける不登校の娘を、親はどう思っていたんだろうか。出かける時、親は起きてたんだろうか?記憶にない。

出勤前の父が車で来て、「あいー寒かったべ」と言いながら、自転車を車のトランクに詰め込む。「何してんだ、わたしは」と恥ずかしく思いながらも、「親が車で迎えに来る」というチートによって無事家に帰ることができた。昼夜逆転していたわたしは、その日も学校を休んで昼まで眠った。

不安で寒くて死にそうな時、怒るわけでもなく、過剰に心配するわけでもなく、ただ迎えに来てくれる親がいた。

寒いときに「親族全員が亡くなる妄想」をしてしまうのは、あの時に親が来てくれた安心感と、逆に電波が入らなかったら凍え死んでいたのかなぁという不安感が混ざった結果なのかもしれない。

話の終着点を見失ったので、とりあえずスウェットの下にスパッツを履いてみた。あったかい。温かさを感じたら、「親族全員が亡くなる妄想」は頭から消えた。恐るべし、関連度合い。

「あなたはメンヘラなんじゃなくて、寒いだけかもよ。ヒートテックってやつを着なさいよ。気づいてないけど、あきらかに薄着なのよ」って、学生時代のわたしに伝えたい。

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伊藤七 | ライター
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