わたしの本棚57夜~「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」
☆「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」山口周著 光文社新書 760円+税
論理的・理性的な情報処理スキルの限界が叫ばれ、世界のエリート、経営者は感性を鍛える傾向にあるといいます。論理的に白黒のはっきりつかない問題について答えを出さなければならないとき、最終的に頼れるのは個人の美意識しかない。そのため、哲学を鍛えられた欧州エリートやアートスクールに幹部を送り込んだり、早朝のギャラリートークに参加する欧米人がいます。ミンツバーグの唱えた経営とは「アート」「サイエンス」「クラフト」のまじりあったものという考えであり、現代の主流になりつつあります。
どんなに戦略的に合理的なものであっても、それを耳にした人をワクワクさせ、自分もぜひ参加したいと思わせる「真・善・美」がなければ、それはビジョンとはいえないとの意見です。なるほど、と思います。成功しているたとえに、ユニクロや無印良品の経営者とデザイナーの関係を具体的にあげています。現在の日本の企業の苦境は、ビジョンが足りないことだとおっしゃり、すなわち、それは美意識の欠如と置き換えられるとのことです。(はじめに~第1章の前半部分での流れです)
第2章では、マーケテイングの面から考察です。現代社会における消費というのは、最終的に自己実現的消費に行きつかざるをえないということであり、それはつまりすべての消費されるモノやサービスはファッション的側面で競争せざる得ないといいます。第3章のシステムの変化が早すぎる世界では明文化されたルールだけを拠り所にする実定法主義は危険だというのをDeNAの事件をもとに語られています。インターネットの世界は日進月歩であり、ネットベンチャー企業の入れ替わりも激しく、世界の多層性のなか、リーダーには「美意識に基づいた自己規範」が求められると説きます。
わたしが特に興味深く読んだのは、第5章で、作家の宮内勝典氏が「善悪の彼岸へ」の中で、オウム真理教におけるアートは極端な「美意識の欠如」(オウムシスターズの踊りが下手、曼荼羅の絵が稚拙)であり、一方でサイエンスは「極端なシステム志向」(学歴による階層性)であったと指摘されたことです。日本のエリート社会もその傾向を持つとあり、怖いなあと思いました。そこで、第7章、どう美意識を鍛えるか?絵画を観て、文学・哲学に親しむというのは簡単そうで、大人になってからは、意識、習慣がなければなかなか実行しにくいのかもしれないと思いました。
各章に有名人の言葉、エピソードや、引用文献が載せてあり、それも面白く読みました。第5章では、エーリッヒ・フロムの「反抗と自由」からです。「アイヒマンは組織人間の象徴であり、男や女や子どもを番号としてみる疎外された官僚の象徴である。(略)再び同じ状況になれば、彼がまた同じことをすることは明らかである。わたしたちもするだろう。現にしている」
経営における「アート」は、自分なりの「真・善・美」の感覚に照らして文学、絵画、哲学などから、自分のアンテナの感度を磨くといった小さな積み重ねから得られていくと学んで、その重要性は、グローバル社会において、今後ますますクローズアップされていくだろうと、この本を読んで、強く思いました。
#世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか #読書の秋2020