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脳と美意識「美しい言葉とは」を読んで

 中野信子さんの記事は、わかりやすく、共感することが多くて大好きなのですが、今回の記事は、少し違うんじゃないかしら、と思いました。カタカナの言葉を攻撃する人への反感、美しい言葉がひらがな、漢字であらわれされるものだと思っている人、そんなにいるのでしょうか。

 確かに、小池知事のコロナの会見でのカタカナ語は馴染み薄く、わかりづらかったです。けれど、それを批判する人は、ただ、馴染んでないだけで、深く考えて美しい言葉として、カタカナを排除したいとは思っていないような気がします。パソコンや高等教育、多言語を扱っている方にはカタカナは馴染んでいるものでしょうが、一介の主婦や高齢者は、まだまだ身近に感じられないのが実情です。

 オーバーシュート、ロックダウンなど、説明されると、カタカナ語の意味を理解すると、そちらを使用した方が端的にコロナ対策の現象を表せます。知らなかっただけで、これを機会に覚えたら、数カ月後には、一般の人も普通に使用しているようになっているのではないでしょうか。美しい言葉という定義が漠然としていますが、それは決して、大和言葉やひらがな、漢字をいうのではなく、カタカナで表記される言葉も十分に美しい。ただ、カタカナの言葉は馴染みなかったから、一部の方には少し反感を持って感じられただけです。そもそも何をもって、美しい言葉というかは、リズム、音律、意味、成り立ち、謂れなど多様であるのだから。

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