杓子定規
学歴コンプレックスと言う言葉を思い浮かべてください一体何を思い浮かべますか
私は学歴コンプレックスと聞いて後悔を思い浮かべますもっと勉強していたらよかった。もっと違う選択肢を選べばよかった…といった後悔を表していると思います。つまり、学歴コンプレックスと言うものは過去への後悔の表れです。つまり、学歴で蔑まれたことが原因で学歴コンプレックスを抱くということはあってはならない事です。そもそも、学歴で人を蔑むこと自体が馬鹿げています。
したがって、○○大学だからといって人を見下すと言う事はあってはならないことです。つまり、学歴でマウントをとって学歴で人を評価している人は学歴と言う小さな小さな範囲の中で威張りっているだけです。ではなぜ学歴を使ってマウントを取るような人が出てきてしまうのだろうか。それは間違った定規を持っているからではないかと思います。定規と言うものはいわゆる基準にあたるものですべてのものにおいて自分なりの基準に照らし合わせて物事を考えることが人間多くあると思います。人それぞれ定規が違うからこそ様々な価値観があり面白い考え方も存在しています。間違った定規と言うものは何かって言うとそれは思い込みです。
〇〇大学を出身した人が大企業のトップに立つと言う話はよく聞くが本当にそうだろうか。常識だと言われていることをしっかりと一回自分の頭で考えてみると統計学的なデータを持っていない限りはその真偽を確かめられないはずです。しかし、その真偽は思い込みで恣意的に操作されていると感じます。人間生まれてきたからには必ず人のために役に立てるような能力があり全員に生きている意味があります。しかし、間違った定規を持ってしまうと生まれてきた者全員に生きている意味があるとか言うことを否定するような考え方が出てきてしまいます。
たかが勉強ができただけで周りの人を見下して存在価値を否定したり、大学や高校の存在価値を否定するような人ことに私は怒りを感じています。
私は今すぐ学歴と言う言葉をなくし今まで何を学んできたかと言う学習歴と言う言葉を全国に普及させたいと思っています。点数を取るための勉強だけではなく自分が知りたい学びたいと思うことにどれだけ自ら進んで学んできた、学習してきたかそこがしっかりと評価される世の中になると全ての人が自分に自信を持つことができます。
たくさんの興味関心の枠出来事の中からたった5個、国語・数学・理科・社会・英語に絞って勉強ができると言う人はかなりの少数派だと思います。個人の興味関心持つ事は星の数だけあります。その中から興味が湧くわかない関係なく絶対に学ばないといけない5教科。この5つのできるぐあいで人を評価する。そんなことがあっていいのでしょうか。
もっと視野を広げないといけません。