エピソード記述(もどき・省察)振り返り⑤
日曜日、汐見稔幸さんの講習会③に出かけた。
私は幼児保育は専門ではないのだが、いまのこどもたちが生きる30年後に向けて、どんな力が不足し、どんな力を育んでいけばよいのか、先輩世代からのメッセージとして、バトンを引き継がねばならないとの思いを強くした講習会だった。
共働き世帯が中心となり、少子高齢化、協働養育が必須の現代において、幼保、小学校教育は、地域に代わるコミュニティ機能の役割もはたしていかねばならない。
基礎的な認知能力はもちろん、非認知能力(手先を使う活動や身体能力、好奇心、集中力、アイデア、我慢する力、レジリエンスなどなど自然や遊びや群れの環境の中で育つ力)を、育ちの生態系の変化に伴って育んでいかねばならない。
正解のない、手探りのグレーの世界で、模索していかねばならない。
そのための観察がエピソード記述の始まりであり、語り合いのなかで醸成され、適正解を見つける術となる。
すべてに通じる最適解はない。
私が汐見先生の著作と出会ったのは、子育てを始めたばかりの頃、ミネルバ書房の書籍を読んだことから始まった。
小学校で生活科の授業が取り入れられ、それまで低学年を主に担任していた私には多教科を横断的に学び、生きる力の種まきができるその教科はとても魅力的で、複式学級を抱えた少人数の僻地学校に赴任していたのも相まって
異年齢での交流や地域へ開かれた環境のなかでの取り組みが可能だった。
一例を挙げると、OO年も前から、保護者の方の田を借り、苗づくりから田植え、草取り(水生生物の観察)、稲刈り、収穫後のおにぎり大会など、社会科や理科,家庭科、道程の算数の計算、振り返りの国語や徒歩での遠足、想い出の歌作りの音楽などに至るまで、本当にこどもたちとたのしく過ごした。
その後、県外に引っ越し、当時は他県での赴任ができなかったため、いろんな職歴を経ていまがあるが、教諭としてのその数年を中心に、自分の成育歴、その後の職歴も含めてのこどもたちとの関わりが、いまの私の教育観を形作っている。
その教育観は汐見先生の教育観に相通ずるものが多く、よしがんばっていけると肯定感が高まった。
先週は、Eテレ「ロッチと子羊」に出ておられた、小川仁さんの哲学カフェにも参加した。
今回のテーマは「食べるを哲学する」だった。
先生の話は、会場の雰囲気もあって、食べることのプラスの面での話が多かったけれど、私は少し食べることへの格差や危機感みたいなものを感じることが多い。
これから培う力の基本に、大きく関わるテーマだと思う。
いろんな学びが、自分のエピソード記述に相乗効果として現われてくれるよう、これからも拙い記述を続けていきたい。
#仕事とは 、「私の自立であり、自律である」と以前書いたように、自身の非認知能力もまだのびしろがあると信じて、こどもたちとの共生の途を歩んでいきたい。
あくまで、エピソード記述もどきであり、自分の省察であることを忘れずに。