#多様性を考える。。
10人いたら、10人と仲良くなれるかもしれない。。
それぞれの良さを生かしあえるかもしれない。。
個性を尊重できるかもしれない。。
互いの尊厳を守れるかもしれない。。
100人だったらどうだろう?!
1人でもだめかもしれない?!
多様性を認め合える適正規模ってどれくらいなのだろうか?!
それもまた、多様なのだろう。。
事実、2022年になっても、戦火が絶えない。。
事実はひとつでも、その捉え方、真理は、一人一様、百人百様、千差万別。。
それも、多様性。。
それでも、排除や加害のある関係性は避けねばならない。。
その人にとっての利他は、他者にとっては利他ではないかもしれない。。
仕事場で、子どもたちとブロックを作って遊んだ。。
ただ無心に、たわいないおしゃべりをしながら、寄り添って。。
限られた空間、限られた時間、限られたなかま、限られた出会いのなかで。。
でも、たわいのないその日常の時間は、とても居心地がよく、おとなにとっても子どもたちにとっても、開かれた空間であり、時間であり、出会いのひととき、居場所だった。。
いつかは、忘れ去られてしまうであろう、そのちいさな経験が、かけがえのない多様性を認め合える世界だったりする。。
私には、知らない世界や知らない時代が、山ほどある。。
そのなかで、私が知り、経験できることは、ほんとうにわずかだ。。
だからこそ、いまの私が多様性を考えるには、自分の生かされている世界で経験できることから学び、知らない世界や知らない時代からすこしでも真実を学んでいく、その「学び」の積み重ねでしかないようにおもう。。
「学び」は、夢や希望を紡ぐ。。
「学び」は、反省でもある。。
10人でも、100人でも、1人でも、いのちの多様性がたいせつにいかされるよう、この投稿を通して、考え、学んでいる。。