[番外編]強い女性でありたいお話。
さたんです。
諸々多感する機会があったのでまとめます。
さたんの最大の主張は、世界の女性が"引け目"を感じず生きれることです。
引け目ってなんでしょうか?
一人称によって多様に変化しますが、何となくこんな形ですよね。
「この人の稼ぎのお金で今私が呼吸できてる。。
けど私だって貴方にとって必須な生活水準を提供しているでしょう?
対等なギブアンドテイクである筈なのに、どうして…」
「この人達と同じ働き方をしていて、私はいつ結婚できるのかな。
私だってキャリアを積んでみたい。でもどうして女にだけ
代償が必要になるの?」
「もう人生のどのフェーズを想像しても不安で息が詰まるな。
いつになったら恒久の幸せが訪れるの?」
私の思う女性の抱える”引け目”って、たぶん
「そうだけど、違う…」気持ちの事だと思います。
仕事においても家庭においても恋愛においても”引け目”は共通していて
”出来ない” ぶん ”やってもらう” のは文章上では正しい
ギブアンドテイクですよね。
でも、出来ない分 ”やってもらった” 行為に対して過剰な報酬が
課せられてしまうのがこの”引け目”の問題の根幹です。
ここに、「そうだけど、違う…」があります。
(報酬が過剰になるのは、相手が感謝を求めているから。その感謝は、
場合によって形を求めたり、形にならないものもあると思います。)
基本的に世の中の物事って複雑に絡みあっています。
この、強い女性でありたいと言うさたんの主張など
取るに足らない小さな意思で、
事象を複雑にする因子の1割も理解していないと思います。
が、建設業で現場に出ていると”男”と”女”について
(こういった区別もあまり好きではありません…)
会社は私に何を求めているの?”女だから”なの?
という疑問を肌感覚に感じます。起きている間はずっと考えています。
なのですみませんが答えは出せませんが、仮説をここに置きます。
仮説🌟女性は自己評価をもっと寛大にするべき
過小評価しすぎなんじゃないかな、と思っています。
前述したとおり、ギブアンドテイクの関係を健全に完結させるなら、
”やってもらった”事に対して支払う報酬は減らさず(双方の幸福度が下ります)
”できない”から”やってもらう”ことのハードルやボリュームを
上げちゃえばいいんじゃない?という主張です。
自分の立場に例えて考えてみましたか?
「でも…」「おこがましいや…」ってなりませんでしたか?
そこです!
その過小な自己評価を見つめ直すことで、”引け目”のない未来が
産まれるんじゃないかなとさたんは思っています。
もっと自分を信じてあげていいんじゃないでしょうか。
きっとさたんの寿命の中では解決できない世界の問題ですが、
この時代は、どんな個性でも肯定されるべき時代だと思います。
様々な個性のバリエーションの中でひとつ、
”女”が強く光る時代を作りたいと思うさたんの主張です。