捨てたあとの後ろめたさ
「もったいない病」のわたしは、特に飲食物を捨てるのがつらい。それはバチが当たるという話ではなくて、食料に特別高い価値を感じているからだろう。
昨晩、食べ残した○○○。○ーのチキンを捨てた。衣ははがして家族に食べてもらったが、食いちぎった後の余りを渡すことはできなかった。迷って迷って、こっそり生ごみへ。廃棄するのは意外と簡単だった。ところが、もったいないことをしたという悔いが強烈に残ってしまった。
たしかにおいしくなかった。若い頃はあのチキンをいっぺんに4本食べたものである。きのうは2本でも多かった。おまけにどんどんまずくなって、一生食べたくないとさえ思ってしまった。これで最後にしようと。
好きにすればいい。ファストフードは他にいくらでもあるんだから。○○○。○ー以外の鶏肉を探す。○○○。○ーのオリジナルチキンを食べたくなったなら、また買ってもらえる。しかし、あの捨てられたチキンの残骸の姿を忘れることができない。つらい。食べ残しがおばけになって出るわけでもない。実害は何もない。忘却したいことほど甦る。悲しい。
苦しむくらいなら捨てなければよかったのだろうか。しかし、まずくて口に入れることができないのだから、わたしはそんなに悪くないはず。あの残飯を骨から外して、切り刻んで、冷蔵庫に取っておいて、料理に混ぜこむことも考えた。そうするほどの量もなかった。忘れられない出来事だからこそ、自分で重大にして、心の痛みを強化しているに過ぎない。
わたしは、わたしに課された使命をまっとうしなかったことに負い目を感じる。人間のために殺されたにわとりさんへの申し訳なさは皆無。作ってくれた人への敬意もない。お金を出し、買ってきた家族への感謝もあまり……。ただ、わたしのために分配された、目の前の食事には責任が伴うと信じているから、食べきらないと気色悪い。残す自由があるとは思われぬ。バイキングでもないのに。自分がすべきことをしなかったために生じた恥の意識とやましさに打ちのめされるのである。この罪業妄想は果てしない。
ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。