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【OAK】オークランド・アスレチックス最後の日【その3 オークランド最後の日】

サムネイルは球団Xから

長い長い前置きに続いて、ついに本題であるオークランド・アスレチックス最後の日について書き記そうと思う。

2012年にオークランド・アスレチックスのファンになってから、幸運にも多くの感動的な場面を目にすることができた。

2012年のレギュラーシーズン最終戦での大逆転地区優勝、2018年の快進撃、2020年のプレーオフでの久しぶりのシリーズ突破とアストロズに対する善戦、ボロボロのチームでプレーオフを目指しながらも力尽きた2021年、2022年最終戦のスティーブン・ボートの現役最終打席のサヨナラ本塁打、2023年のリバースボイコット・・・。

しかし、その全てをしても、2024年9月26日の感動には叶うまい。

僕の経験上、野球というのは最終的には皆が望むものを全て与えてくれる。もちろん今回起こった結果は全て皆が望んだものではなかった。ただ、この日コロシアムで起こった全てのことは、少なくとも見届けた全ての人にとってささやかながらも、清涼感のある救済になったと思う。

そしてそれは、全てオークランド・アスレチックスのフロント以下、選手・監督・スタッフたちのおかげだった。

美しい球場で行われた美しい野球

試合はオークランド最後のサイ・ヤング賞投手バリー・ジトの国歌斉唱、そしてオークランドを代表するレジェンドであるデーブ・スチュワートとリッキー・ヘンダーソンの始球式から始まった。

USA Today

この3ヶ月後、リッキー・ヘンダーソンがよもやこの世を去るとは思わなかった。

リッキーのこの日のコメントも、変人として知られた彼らしいコメントだった。「悲しくなれないね。俺は(悲しくなるには)金持ちすぎるし、ここでたくさんのことをやりすぎた。素晴らしいことをたくさんやったんだ。だから悲しいというよりは幸せなんだ」

「そして、すべてが終わってから、きっと実感が湧くんだろう」

オークランド・アスレチックスの象徴だったリッキーが、オークランド・アスレチックスの終焉と同じ年にこの世を去ったという事実は、彼の最終戦などのピンピンした姿からは想像もできないことだったが、何かしら不思議なものを感じざるを得ない。


先発は新人のJT・ギン。ギンは持ち味のゴロを打たせる投球で小気味よくアウトを奪っていく。今季の彼の投球の中でも、とりわけ優れたパフォーマンスだったと思う。

あまりにテンポが良いので、このままでは早く試合が終わってしまうな・・・などと思った。

アスレチックスは3回に内野ゴロと犠牲フライで2点を先制し、5回にもレンジャーズの左翼手ワイアット・ラングフォードのエラーで3点目を追加した。

シーズン最後のホームゲーム、照りつけるデイゲームの日差し、レンジャーズの外野手。

どうしても、2012年の大逆転地区優勝に繋がったジョシュ・ハミルトンの落球を思い出さずにはいられなかった。

He dropped it!

この落球が僕をアスレチックスファンにしたと言っても過言ではない。個人的には大団円を迎えた瞬間だった。最終的に1点差に追い上げられ、この点が決勝点になったのも2012年と同じ。野球の神様は(いないのだが)、粋なことをすると思った。


続く6回途中には好投のJT・ギンがピンチを背負って降板。群衆はこの若武者を割れんばかりのスタンディングオベーションで称え、ギンも群衆に拍手を送って57年の歴史を称えた。

これまで何人もの名投手の好投を称えてきたコロシアムがスタンディングオベーションを行った最後の先発投手として、ギンにも一角の投手になってほしい。いや、なってくれそうだと感じた見事な登板だった。燦々とした日差しに照らされたコロシアムの景色も相まって、これは美しい光景だった。


継投でピンチを脱したアスレチックスは、その後もレンジャーズ打線の反撃を躱した。

極めつけは7回に飛び出したJJ・ブレデイのダイビングキャッチだった。文句なしで今年のベストキャッチに選びたい。


8回二死2塁のピンチからメイソン・ミラーが投入されると、いよいよ終焉の時が近いことを感じざるを得なかった。

個人的にはオークランド最終戦はサヨナラ勝ちになると睨んでいた。オークランド移転以来積み上げた485のサヨナラ勝ちはメジャートップだ。

ただ、ミラーが出てきた以上、逃げ切り以上のシナリオはなかった。

この日のミラーは鬼気迫る投球だった。自己最速、そしてもちろんアスレチックスの投手では史上最速の103.8マイルを記録。

先頭の2打者を三振に打ち取ると、最後の打者も三振で打ち取るかに思われた。しかし、レンジャーズの最後の打者であるトラビス・ジャンコウスキーにもプライドが垣間見えた。必死にミラーの速球に食らいついてバットに当てようと試みたが、それでもサードゴロが精一杯だった。

三塁手のマックス・シューマンがそのゴロを捌いて、試合を締めくくった。3対2。素晴らしい試合だった。

試合を締めくくったミラーは試合後のセレブレーションでカメラを向けられると、右手をユニフォームの胸の部分に添えた。ユニフォームの胸字にはOaklandの文字が記されていた。

コロシアムには最後のクール&ザ・ギャングの「セレブレーション」がかかり、満員のファンは全てのしがらみを忘れ、勝利を祝った。


選手たちによる素晴らしい餞別

個人的に最もグッと来た部分、それは選手がこの最終戦に対して、ありえないほどの素晴らしい姿勢で臨んでくれたことだ。

選手たちは最後のホーム3連戦、ホーム用ジャージの中では唯一「Oakland」を胸に背負うケリー・グリーンのユニフォームを選び続けた。この色はリバースボイコットなど、ここ数年の抗議運動の象徴ともなった色だ。

さらに、選手たちは事前に番記者とも相談して、オークランドをトリビュートする登場曲を用いた。

セットアップのタイラー・ファーガソンは、2012年の地区優勝の立役者である守護神グラント・バルフォアの登場曲で登場した。コロシアムは久々の“バルフォア・レイジ”に湧いていた。

また、試合の終盤、ちょっとした乱入者やフィールドへの投げ入れがあっても、選手たちは動じず苛ついた態度を見せていなかった。

正直、乱入者や投げ入れはもうちょっと起こるものだと思っていた。球団側も警備体制をかなり厳重に整えていたという。

同じくオークランドから移転したNFLレイダースの最終戦は、もっと騒々しい空気が流れていた。試合後は敗れたこともあってブーイングや投げ入れ、スタジアムの破壊が止まず、見ていて物悲しくなる結末だった。

しかし、アスレチックスの最後の試合は、愛に満ち溢れていたと言えよう。群衆は最後まで選手と一体となり、温かい声援を送っていた。そうなったのも、群衆を最後の最後まで飽きさせない素晴らしい野球を選手たちが展開したからに他ならない。


試合後の感動

そして、感動のピークは試合後にあった。

もともと、マーク・コッツェイ監督以下、選手たちは試合後はすぐにフィールドから立ち去るように、球団上層部から指示されていた。

しかし、試合後にコーチングスタッフと選手は全員がフィールドに現れた。

そして、コッツェイ監督はここで感動的なスピーチを打った。

「オークランド・アスレチックスに人生を捧げたスタッフ、特に我々と一緒に来ないスタッフに、私は永遠に感謝しています。あなたたちのことを決して忘れません」

「そして、私のスタッフ、私自身、このチーム、過去の選手やコーチ全員、グリーン&ゴールドのユニフォームを着たすべての人々を代表して、あなたたち全員に言いたい。あなたたちほど素晴らしいファンはいません。野球を愛してくれてありがとう。オークランド・アスレチックスを生涯サポートしてくれてありがとう」

ああ、だったらなぜ球界最高のファンのもとを去らなければいけないのだろうか。

「そして、私は最後にもう一回、球界で最高のチャントを始めて欲しいと思う」

「Let's Go Oakland!」とコッツェイが始めると、それは球場全体に波及し、何回かの復唱の後に足並みが揃い、うねりのようなチャントが響き渡った。

その熱狂っぷりで知られる(そして行儀の良さではあまり知られていない)オークランドのファンは、コッツェイのスピーチに聞き入っているようだった。

そして、最後の「Let's Go Oakland」のチャント。これが最後なのかと思うと、なんとも切なくなった。この時点でめちゃくちゃ泣いていた。

そして、スピーチの後には、最後のアウトを取ったマックス・シューマンが感動的な場面を作ってくれた。

シューマンはOaklandと書かれた大きなフラッグを手にフィールドを一周。僕もこの日一番の号泣だった。なんとも、感動的な場面だった。

シューマンは「それは自然なことだった。旗を見て、走ったんだ。オークランド・アスレチックスにドラフトされ、この組織で育った選手として、このチームを代表するというのは特別なことだった」と語った。

選手たちはこれから程なくして大急ぎで飛行機に乗り込み、最後の遠征地シアトルへと向かった。時間がない中でこのような振る舞いだったと考えると、やはり選手たちの暖かさを感じる。


オークランドではファンも選手も家族同然だった

ついにアスレチックスがオークランドを去る。その瞬間になって、多くのファンや古株の従業員にも悲しみの波が押し寄せた。

コロシアムの名高いグラウンドキーパー長クレイ・ウッドは試合後、投手マウンドに行き、涙を流した。

アスレチックスのクラブハウスのすぐ外に立っていたあるアスレチックスの関係者は、膝を震わせながら壁に頭を埋めていたが、警備員が彼の肩をさすって慰めていた。

上記のボブ・ナイチンゲールの記事より

ナイチンゲールの最終戦リポートの記事には心を打たれた。色々言われることもあるが、彼が本物のジャーナリストたる所以が詰まった記事だ。

そして、こちらのTJ24さんのYouTubeもぜひご覧いただきたい。

TJさんは僕がオークランドに行ったとき、コロシアムを案内してくれた。TJさんのおかげで、セクション119というクラブハウスの入口からベンチまでの通路に面する最高の位置で、僕は試合を見ることができた。

セクション119にはオークランドで最もダイ・ハードなファンが集う。その最も熱心なファンの中でも“ドン”的な存在のロレーナさんという方がいて、僕はロレーナさんに本当によくしてもらった。

ロレーナさん達は選手、監督とはほとんど家族のようなフレンドリーさで接している。

クラブハウスから試合に向かう選手、監督の一人一人に声をかけ、試合の30分前にもかかわらずコッツェイ監督やエリック・マーティンズ三塁コーチは足を止めてロレーナさん達と会話を交わす。

そういった顔馴染の面々だけではなく、2023シーズンに1試合だけ登板して故障者リストに入ったヤクセル・リオスのような選手に対しても、親しみと敬意を込めて声をかけていた。タトゥーが入った強面のリオスが人懐っこくロレーナさん達と会話する様子は、日本から来た僕にとっては衝撃的だったと言える。

そこではファン、選手、監督は一体であり、家族だった。

日本から来て(なぜか)ジョナ・ブライドのカスタムジャージをいの一番に購入した僕は、その日サインを貰うべく緊張の面持ちで試合前は座っていた。

その日、スタメンではなかったブライドは試合開始ギリギリにベンチに訪れ、試合前に僕にファンサービスをするだけの時間はないように思えた。しかし、ロレーナさんが「彼は日本から来たのよ」とブライドに僕のことを紹介すると、ブライドは両手に抱えた荷物を早足でベンチに置いて、僕の元へ戻ってサインを書いてくれた。

アメリカでいくつかの球場をもらい、サインを書くというファンサービスがいかにファンにとっては奇跡的な選手側の厚意であるかということを身にしみて理解していた僕にとって、この一連の出来事が深い感動をもたらしたことは言うまでもない。

そして、アスレチックスの選手たちほど、ファンに優しい選手もいないと思う。

多くの選手がファンを本当に大事にしていて、ファンの開場時間が他球場にもまして遅く、ファンサービスの時間が限られているはずなのにファンサービスを惜しまない。

ある選手は僕が観戦した2023年にはファンサービスが渋いという話を聞いていたが、2024年に足を運んだぽせいどんさんから聞くと、懇切丁寧にファンサービスをしていたらしく、そこら辺の人情にもまた感動してしまった。

移転問題なんて、遠い日本から応援している僕のようなファンには関係ないかもしれない。実際、たった2試合コロシアムに行っただけなのに、分不相応な怒りを僕は示していると思う。移転と新球場の開場は、アスレチックスの未来にプラスに作用するはずなのだ。

ただ、その2試合の中で僕にここまでの厚意を示してくれたオークランドのファンの方々、Twitterで交流する現地のファン、そして何より僕が好きになった“オークランド・アスレチックス”というカルチャーの根幹にいた熱狂的なファンの手前、サクラメントとラスベガスにおける未来を手放しに楽しみにするのは、なんだか後ろめたい。裏切りのような気持ちというと大袈裟だが、それでもその言葉がふさわしいと思っていた。

だが、この1年間、特に移転が決まってからの選手たちのプレーぶり、そしてオークランドへの素晴らしい餞別を見て、僕の心境も変わった。この素晴らしい球団をずっと応援していたいと、そう思うようになった。

いつか年月が経って、アスレチックスがオークランドにいたことがほとんど教科書の中の出来事のようになる日が来るだろう。そして、ラスベガスでアスレチックスが王朝を築く日が来るかもしれない(そう願っている)し、あるいは世界一を成し遂げて、数年後にはファイヤーセールをしているかもしれない。

ただ、僕はその瞬間が来た時に「ここで起こったことは、オークランドで始まった」とそう言うつもりだ。


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