舞台「仮面ライダー斬月」感想:または木っ端微塵に「鎧武」に悔いなく殺された話。①
「なんかすごいもん観た」
「想像以上にものすごく本編鎧武だった」
上記は観劇が終わった直後、私が友人と交わした言葉である。
よかったとか楽しかったとかそれ以前に「とにかく鎧武だった」のだ。濃度1000%の鎧武だった。そのあまりのインパクトに、呆然とした。
ほんとうに真っ向から心を抉られ過ぎて、急遽スケジュールの空きを見つけ出して観劇おかわりしてしまったくらいである。そうさせるほどの、たしかな吸引力が、熱が、「鎧武」が、舞台斬月にはみちあふれていた。
「っていったって、なにがどう鎧武? そもそもオリジナルキャストひとりしかいないのに」
いやいや。いやいやいや。
ところがどっこい鎧武なのだ。あれはもう、本編を愛した我々への最高のボーナスステージなのだ。
という話を、つらつら、自分の感覚の備忘録もかねて延々としていきたいと思います。
※以下、一切舞台および鎧武本編のネタバレに考慮しません
※筆者は「仮面ライダー鎧武」が好きな特撮オタクです
※息をするように鎧武本編のネタ挟みます
※ちょっとでも琴線に触れたら舞台ぜひ観て!ライビュと配信もあるよ!
■そもそもなぜ「鎧武で舞台」
私はどっちかというと特撮寄りのオタクなので、まずそういう背景について語ろうと思います。
ホントあのね、この2.5戦国時代、「仮面ライダー」が、いつまでも「そういう舞台」と縁遠いものであるわけがないとは思ってたんですよ。それこそ武部Pとか、めちゃくちゃやりそうだなーとか勝手に思ってました(パンフレット見たら、やっぱりこの読み外れていなかったようで笑った)。
で、じゃあ具体的に、やるなら何を持ってくる?
旗揚げ公演としてどの作品を選ぶ? ってなったとき、鎧武ってめちゃくちゃ「最適解」だなあって、第一報見た瞬間にめちゃくちゃ納得したんです。
他の作品と比較して鎧武が「向いてた」と思う理由は色々あって、
・比較的最近の作品(といっても2013-14ですが):作品ファン・キャストファンともに集めやすい、オリキャス配置しやすい
・多人数ライダー群像劇:劇場版まで含めるとライダーだけでもメイン総数13名(近年は諸問題から、ライダー総数3~4人くらいの少人数が多い)
・メイン脚本虚淵玄(ニトロプラス所属):ゆえにコンテンツの根幹部までがっつり噛んでるニトロプラス
・ニトロプラス:「刀剣乱舞」を2.5展開させ続けている実績あり=舞台化に際して、ツテ、とっかかりがある
・脚本演出毛利さん:劇団「少年社中」主宰、ご本人も仰っていた通り舞台は「ホーム」、鎧武本編の脚本で関わっている
ざっと思い付くだけでもこれくらい。
あとそれこそOPでダンスでバトルが始まった瞬間「ひえっ鎧武」と猛烈な衝撃を受けたので、「フルーツ・鎧武者・錠前・ダンス」という、どうやったら結びつくんだい? と首をかしげたくなるレベルで「構成要素が多い」こともあげられるかもしれません。
限られた時間の中、できるだけ冗長な説明を省き、かつ「演出」で「これはこういうものですよ」と示す。他の作品だと、さすがにここまで一発ではっきりさせるのは難しい。と思う。
いやもちろんこれからまた展開されていくのなら(きっと行くだろう)、どうするのか見てみたいというのは、すごくある。興味がある。
旗揚げ公演として最強クラスの出来でした。まちがいなく、斬月は。
■おまえは何に死んだのか
舞台、何が凄まじかったかって、本当にまず「どこまでも鎧武だった」に尽きる。
すごく本編を見返したくなったし、とりあえずあの踊るOPがめっちゃくちゃ見たくなった。それだけ「私が知るそのままの鎧武」だった。これ本編知らない人大丈夫…? と、我に返ってからふと心配になってしまったくらい鎧武そのものだった。
もうね、もう冒頭の掴みからしてズルいんだ!
①慣れ親しんだ「ドーンウッハッハ」からのまさかのほーちゅーさん新録ナレーション(私「あっ…アッちょえっ…!?」)
②主任生身戦闘→「私だ」(うわぁあああニーサンだああ貴虎だァアアアア)
③アンダーグラウンドシティにおける子どもたちの「殺し合いというゲーム」(おいちょっと待てそれぶっちーの鎧武最初期案)
④という衝撃も去らぬうちにOPで踊りだす「鏡面」たち=これ以上ない圧倒的説得力をもって示してくる「this is 鎧武」(そのジャンプ見た)(揃いの動きめっちゃ見た)(鎧武…鎧武だあ…鎧武の舞台だ…知ってる…私これ知ってる…がいむ…)
⑤そして「変身」!! ライダーバトル!! 私「え゛っっ」(最後の最後まで出さない最終兵器的なものだと勝手に思い込んでいた)(まだ最序盤)(手が届きそうな目前で繰り広げられるガワアクション)(倒れて転げる音があまりにリアル)
⑥アイムが登場して喋りだした瞬間「紘汰だ」
⑦グラシャの立ち位置や語り口「戒斗…」
もうこれだけでも怒濤に「これは鎧武ですよ」を叩きこまれてから始まる本編の話をします。
舞台斬月、どこまでも「本編の鏡面反転if」であり、同時に「あの本編を経てこそ決断できる・変身できた貴虎の物語」でありすぎた。Maxサビなのでホント何回でも!! 言う!!!
個人的に虚淵氏は「この世界はとうに飽和している」思考の人で、「ゆえに変革とは、外部からの力なしには起こりえない」脚本書くよなあと思っておりまして。
鎧武本編でもこの意識を相当に感じたのだけれど(紘汰と舞の最後とか特に)(まあそもそも鎧武って、まどマギを面白がった武部Pが「ああいうのやりたい」でぶっちー連れてきたところから始まってるので、あのラストに関しては注文を果たし…いややっぱりぶっちー個人の思想だろうこれは)
今回の斬月でもはっきりそれが継承されていて、ゾッとした。
だって変身できた貴虎のラストの立ち位置、インベスを、ヘルヘイムをすべてその一手に引き受けて去っていった本編ラストの「はじまりの男」じゃん。困ったらいつでも呼べってそれ神じゃん。
自身の贖罪は終わらない・新たに雅仁の魂ごとその罪すら背に負う貴虎⇔インベスたちと人類・地球との共存の道を探り続ける紘汰。
仮面ライダーって、正義のヒーローって、「大人」って、……このグルモヤ感、どこにも絶対の正答なぞ存在しえない感、本編で死ぬほど刻み込まれたアレ~~~~!!(頭を抱える)
観劇おかわりで手にいれたパンフレットで、脚本協力の鋼屋さんコメント「仮面ライダーは伝説になる」をみて、思わずあぁ゛!? って奇声あげそうになりながら納得しました。ホント紘汰→貴虎→アイムへ渡されていく、ヒーローと贖罪のバトンな…。
貴虎の罪と罰、かつてはできなかった救いとしての「変身」、やっぱりナチュラルに来ちゃう神、「変身できたんだな、貴虎(中の人ネタすみません)」…もう全部鎧武なのがどこまでも…どこまでもズルい…。
色々思うことが溢れすぎているので、キャラ個々に絞って話を続けます。
■貴虎がすごいという話
呉島貴虎as久保田悠来。
主演。座長。唯一の本編からの続投オリキャス。
いやー久保田悠来は…すごいなあ…(こなみ)
一回目でなんと最前を浴びるという恐ろしいことをしたので、余計にひしひし実感した。めちゃくちゃ徹頭徹尾全身が呉島貴虎だった…ダブルアンコールで喋りだすまで、なにもかもすべて貴虎だった…。
友人の言「作画崩れねえな…いや当たり前だけど…」って、笑ったけど、ホントそれな。あのねもうね、いたんですよ。私の知っている通りの貴虎ニーサンが、呉島主任がそこにいた。
圧倒的に一番「魅せてくる」「ひきつけてくる」。さすが呉島主任だと、本編でも言われていた、その通り。一番動きに無駄がない、かつそれは「スマートである」訳ではなく、戦闘をするためにもっとも動きを最適化しているということであって、当たり前のように泥臭く這いつくばる。
かつて本編でも、幾度となくそうであったように。
導入が「主任が落ちたー!」から始まるのはもはやギャグだと思うんですが(なんせ鎧武本編で崖落ち水落ち経験済みのニーサンである)、あの「うっ頭が…!」のへよへよから、記憶が戻って行く段階ごとに「貴虎」を取り戻していくのが、ストーリー構成としても演技の構成としても、たいへん見やすかった。
「さすが呉島主任だ」「さすがは呉島貴虎だ」。
そんな賛美の言葉がほんとうにまったく浮かないのである。端的に申し上げてすごい。久保田悠来こえぇ。
確たる中心として、絶大な信頼を得ているのが観劇していてもわかるし、パンフレットのぶっちーだったり武部Pだったりの原作サイドのコメントがまたもう笑える。彼への、「呉島貴虎as久保田悠来」への信頼感、もはやドス重い。ぶ厚いが過ぎて凶器。そしてそれに当然のようにニーサンで応える久保田悠来…ひー。
観客はあまねく死ぬ。殺され方があまりにいさぎよいほど心地良い。
…初っぱなから貴虎というより久保田悠来を誉めちぎってしまった。うん次! ストーリーそのものについての話!
今回の話は、一言で言うと「鎧武本編の鏡像を、本編からの「変身」をもって越えていく貴虎の話」だ。
「葛葉紘汰(概念)を貴虎が救う話」と形容されていた方もいて、すげーわかるー!! ってなりました。いやーもうねーこれでもかというほど全面に「鏡」を示してくるので、逐一特攻が入ること入ること(笑)
「スカラーシステムにかつて焼きつくされた実験失敗の跡地」で、
展開される「命を賭けた子どもたちの殺し合いというゲーム」の中、
呉島貴虎は彼の過去の罪を思いだし、新たな罪を背負い、刻み、贖い、抗い、そして今回、彼は大人として、「こどもたちをヒーローとして救える」。
アイムは変わらないことを、こどもでありつづけることの選択が貴虎という存在によって可能になった紘汰であるわけですが(別記します)
そう、今回貴虎が彼にしたこと、あれってまるごと、貴虎が本編で、紘汰に「おとなとしてできなかったこと」なんですよね。
一番それがはっきり目に見えてこちらにもわかるのは、リーダーを殺したアイムの背に手を添え「泣くな」「生きろ」と告げるシーン。すごく好き…というか、貴虎の「変身」がめちゃくちゃ噛み締められるシーン。直後の展開がさすがにちょっと急すぎることを除けば大好き(笑)。
だってあの手は、ヒーローであることを諦めて「大人」だった貴虎が、その「条理」を絶対に認めずに、あきらめずに、稚拙に必死に走り続け、足掻きに足掻き続けた紘汰に伸ばしてやれなかった手だ。
この舞台、そもそものストーリーが本編を怖いほどに映したものになっているうえ、本編での紘汰→舞台斬月での貴虎というパラダイムシフトが起こらなければ、絶対に成立しえない話になってるんですよね。「あれだけ裏切られ続けてもそれでも信じること」「変わることのできなかった己の変身」を希い、望み、手を伸ばす強い意志がなければ、呉島貴虎が「それができる」人間でなければ、紘汰から「託されて」いなければ、絶対にできないことで、ありえない話なんですよ、舞台斬月。
また「最後のさいごの一歩」の背中を押すのが神だってところまで、本当に構造がえげつなくて完璧なんだよなー。
そして他の方の感想拝見していて「うわっ確かに」と思ったのが、その神が渡してくるのが「かつて沢芽市のスカラーシステムをぶっ壊した」カチドキだってところ。ヒトが手にしうる最上級の「変革の力」の錠前だってところ。
んでもって、紘汰はかみさまになったので全部ひっくるめて自分のところに持っていっちゃうんだけれども、
一方の貴虎は人間なので、贖罪のヒーローなので、地に足をつけたままその背に罪を負っていくんだよ…でもどっちも「困った時には絶対に手を差し伸べてくれる」んだよー…。
そしてこの「変化」の対比として登場する雅仁の「力だけを手に入れた空虚」。
えげっ。えげつなっ。えげつないっっうぇっ(別記します)
以下、好きなシーン。
まあ主任は立ってるだけでナチュラルに意味不明レベルでカッコいいので、それはもうね、大前提として(笑)
・初っ端素面アクションからの「私だ」
くぼたゆーきぃいいいいいいい(高周波)
主任来た…から突き落とされていくOPである…流れ一連めっちゃすき…。
・「おっさん」
名前が思い出せない貴虎が、アイムたちと交わす「おっさん」「おっさんと呼ばれるような年ではない」「いやおっさん」「ではない…はずだ…」。
なんというか、この真面目ゆえにトンチキにも響いて一周回ってめちゃくちゃおかしい感じ、とても「呉島貴虎」。めちゃくちゃ可愛かった。春休み合体スペシャルとか劇場版のアレを彷彿とさせる…(ファイナルイベントDVDの影響)
そうだよな、鎧武って、基本ベースが相当ドス暗いなかにそういうトンチキエッセンスがあって、結果的に貴重な息抜きになってたんだよな…好き嫌いはわかれるけどな…。
舞台でも同じでした。すごい笑った。
・ベリアルと貴虎
直近に某お空のゲームで覚えのありすぎる名前だったのは置いとくべきか置いとかないべきか(笑)
鍵臣に呼ばれて出てきた名乗った瞬間「凰蓮枠」って伝わるの、ああうん、鎧武。グリーン・ドールズを乗っ取るあれはなるほど「魅了」かと思いつつ、やはり一切それが効かない、そしてめちゃくちゃラブコール送られまくる貴虎は、もはやそういう星のもとに生まれてるんだなとしか思えない私である。
突っぱねかた、振りかたに覚えしかなくて、めちゃくちゃ笑った。
私が観劇したのは17と21の夜でしたが、日替わり;
17夜:「ハグはできた!」(主任めちゃくちゃ嫌そうな顔してた)(そしてハグされるときの身体が遠かった)
21夜:人身御供にされるパイモン(だったはず)(熱いキスどころか抱擁すら阻止されるベリアル)(笑った)
貴虎…もうホントあんたって人は…w
・生きることでしか罪に抗えない
一回目は「おま…貴虎…おまえ…紘汰に…紘汰にできなかった、伸ばせなかった手ぇえええええ」ってもうそれだけで頭が一杯だったんですが、二回目にここ観たとき、なぜか46話の浜辺のシーンが脳内に猛烈にリフレインしました。
で、なんでかって、そうだ。46話のあのとき、貴虎は(無意識下でかもしれないけれど)しにゆこうとしていたからだ。
んでもって、このシーンが、あの貴虎も踏まえた対比になっているからだ。
命を終わろうとしていたところに、紘汰の「お願い」があった。諭された「変身」があった。託されたものがあった。だから貴虎は、貴虎という男を、兄を願っていた弟の、光実のもとに戻った。
それが本編の物語で、そして葛葉紘汰は、彼らの前から姿を消した。別の場所へと旅立っていった。
あのあと、「戻って」からの貴虎の艱難辛苦は、どう考えたって常人が背負えるものを越えている。けれどそんな荊の道の中で、きっと、これこそが貴虎が得たある種の結論なのだろうなあ、と。
そう思わせる、確かな説得力があった。少なくとも私は、すごく、納得した。
だからおまえも抗えという、泣くなという、立ちあがれという。
貴虎は人間だから、自分もまた贖罪を架された側の人間だから、その罪、痛みごと背負ってどこかに行ってやることはできないから。
完全に余談ですが、「変身だよ、貴虎」のシーンは、ファイナルイベントの名セリフ再現でも入ってるので(おまけディスクの方に)あの部分の紘汰の表情がよく見たいという方はぜひ。
みんなに宝と全力介護されるさのがくがおもしろいのでぜひ。元気が欲しいときにしょっちゅう見てます。
もう6300字なんだって! ばかじゃないの!!
まだまだ残しておきたい部分が尽きないので、他キャストについての話もまた別に書きます。
ライビュ…楽しみだな…!
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