分かりたい友だちのこと。ドイツ生活のぼやき - 15
彼女はとても優しくて、ふわふわの物が好きで、それでいて自分の意見をしっかりと持ち、議論することが好きな人。言語が得意で、ヨーロッパのいくつかの言語に加え、日本語もとても流暢に話す素晴らしい人。
でも、最近彼女のインスタグラムを見ていると、ほとんど人種差別的な投稿が増えていることに気がついた。イスラエルとガザ地区での出来事について、徹底的にユダヤ教徒の味方でいることはいいのだけど、それらしい言い分で「殺されても仕方ない人間がいる」というようなことを書き連ねる。そして、この意見を理解できない友人たちを貶し、怒り、爆発していた。
そういえば、このことがニュースになる前から、彼女はイスラム教徒たちを嫌っていた。彼女の住むアパートで、イスラム教徒の若者たちが騒ぐことにいら立っていた。彼女が「ムスリムはダメなやつら」と言う度に、わたしは、ムスリムが悪いのではなく、その彼らがルールに従わないだけでしょと口を挟んだ。そうすると「イスラム教の国で繁栄した国はない」と返ってきて、「オスマン帝国は?スペインだってイスラム教が栄えた時代があったでしょ。わたしはイスラム教の建築物が大好きなんだ」などと言って、終わらない言い合いになるのだった。
イスラエルでの出来事があったとき、過激派の動画ばかり集めて「ムスリムたちは人間じゃない!野蛮だ!」と投稿していた。そういう過激な人を、わたしはこの街で見かけたことはなかったけれど、過激派が世界のどこかにいることは事実なのだろうし、わたしも特に何も言わなかった。
しばらくして、ガザからつらいニュースが届くようになっても、彼女は「テロリストを見つけるためには全員殺してしまっても仕方がない」と言い続けた。
わたしは夫に尋ねた。
「どうして彼女はあんなにイスラム教徒が憎いんだろう」
答えを期待していたわけではなかったのだけど。
わたしにはイスラム教徒の友だちがそれほど多くないけれど、知り合った人々はみんな良い人、というか、普通の人たちだった。大学時代に出会った先生は、故郷の音楽や美味しい蜂蜜の話をしてくれたし、語学学校で出会った子は他人を思いやることに誰よりも長けていて、グループワークをうまくまとめてくれていた。タンデムパートナーだった子はドイツで生まれたけれど、自分のルーツを大切にしたい、親の文化や伝統を尊重したいという理由から、イスラム教の教えに則った暮らし方をしていて、いつも礼儀正しくて笑顔の素敵な優しい女の子だった。お気に入りのトルコ系カフェは、どの店員さんもフレンドリーで、よくトルコのお茶をサービスしてくれる。
別に悪い人には出会ったことがないから、なぜ彼女が特定の社会グループをあんなにも憎むのか、まったく分からなかった。
彼女の生みの親は、イスラム教徒だった。彼女が生まれた少し後に、ソ連は崩壊し、東ヨーロッパでは様々な紛争が勃発した。その後、両親を失った彼女は、まず母国で里親に引き取られ、10歳を過ぎた頃、新たにドイツ人男性と、東ヨーロッパの女性との子となり、ドイツで暮らし始めた。この育ての母は、イスラム教との紛争の歴史がある地域から来た、キリスト教徒だった。
彼女曰く、長い間この育ての母のことを受け入れられず、母の母国の言葉や文化から距離を取っていたそうだ。しかし30歳を超えた今、育ての母に自分のアイデンティティを見出したのか、自分にはその国の文化が根付いていると感じるようになったと話してくれた。
育ての母は、数年前に死んでしまった。それ以来、彼女は不眠症で、精神的にも不安定な状態が続いているのだという。
彼女の生い立ちの一部を話したところで、なぜ彼女がイスラム教徒をあんなにも嫌うのか、はっきりとは分からない。でも、悲しいことは、彼女をこの世に誕生させたのは、イスラム教徒の夫婦であったのに、彼女が自分や親のルーツを心底嫌っているということだ。
育ての母も紛争を経験しているから、もしかしたら、イスラム教徒に酷い目に遭わされたのかもしれない。でも生みの親を失うことになったのも、紛争で誰かに酷い目に遭わされたからではないのか。
誰が悪いんだろう、と思う。
イスラム教徒でもキリスト教徒でもないと思う。
宗教の存在自体が悪いというわけでもないと思う。
誰が、悪いんだろう。
わたしはレッシングの『賢者ナータン』が好きだ。大学のとき「ドイツ文学」という授業を受けて、感銘を受けた。
ナータンは素晴らしい。わたしはナータンのようでありたい。
わたしはある男性から性的暴行を受けたことがきっかけで、その人の所属する様々なものを、生理的に受け付けなくなった。たとえば「男性」であることや、その人が仕事にしている「楽器」、その人の「名字」や「名前」、似たような「ファッション」、彼の実家のある「街」など、一見関係のないように思える色々なものごとから距離を置いている。
でも、賢者ナータンに出会ったとき、憎むのはやめたいと思ったのだった。
先日ネットフリックスの『Pluto(プルートウ)』という作品で、「憎しみは消えるのか?」という問いに対して答えが出ないまま、「憎しみからは、何も、生まれない」と語られるシーンを見た。
本当にその通りだと思う。憎しみからは、何も、生まれない。いや、それどころか、憎しみは次の憎しみを誘発すると思う。だから、わたしは憎むのをやめようと今も努力している。
でも、これは、綺麗ごとではないか。
わたしの友だちは、紛争を実際に経験したわけではないはずだ。それなのに、彼女の中には、確かに憎しみが残っている。当時まだ幼かった人間の心に、殺し合いは、こんなにもはっきりと憎しみを残したのだ。
わたしは日本で日本人として生まれ、いわゆるマジョリティに属する人間だった。ドイツに来たら、アジア人女性ということで、少し弱い立場ではあるものの、日本もドイツも先進国だし、経済的にも似たような状況だし、先の世界大戦では揃って敗戦国になったもの同士だし。夫の国イタリアに行っても、わたしの目に映る世界はそんなに変わらない。だいたいが「文化の違い」で済むようなことだ。
そんなわたしに「憎しみからは、何も、生まれない」という資格はあるだろうか。
日本にはアメリカが大好きな人が多い。東京、広島、長崎などをはじめ、多くの戦争犯罪を日本の地でされたのにもかかわらず、わたしはアメリカが憎くはない。教育のせい、あるいは教育のおかげなのだろう。ある人はそれを洗脳と呼ぶが、誰かを憎まなくて良いのは、誰かに憎しみをもって生きるよりも、楽な気がする。平和ボケしているのだろうか。
わたしは彼女を、理解したい。彼女が何をそんなに憎んでいるのか、知りたい。彼女のつらさを、分かりたい。
でもそうやって彼女に踏み込む権利も、わたしにはないと思う。
昨日、彼女はインスタグラムのストーリーに「アジア人がうざい」「東京に行ったときに見た、グロテスクな資本主義の景色(高層ビル群)が気持ち悪い」「そういうのを『そういう文化だから』と片づける奴が嫌い」といったような内容だった。
わたしには、彼女が本当にアジア人全員が憎いのではないことがなんとなく分かる。きっと誰かが、あるいは何かがとにかく憎くて仕方ないだけなのだ。そのことを考えてしまうきっかけになったのが、昨日はたまたまアジア人だったんだと思う。
正直にいうと、やっぱり悲しかったし、かなり打撃を受けたのだけど、わたしは彼女を知りたいという気持ちがあるから、なんとか冷静に画面から目をそらすことができた。でも、わたしが彼女を分かりたいと思っていない人だったら、彼女を攻撃してしまったかもしれない。そして、彼女が憎く思えてくるのかもしれない。
憎しみはこうも簡単に生まれてしまうんだろうか。
どうしたらいいのか、まったく分からなくて、一晩寝たのに、今日も朝から悲しかった。彼女が幸せに笑っていてくれさえすれば、わたしは嬉しいのに、その方法がまったく分からなくて、味噌汁を作りながら目頭を熱いのを感じていた。
こういう話をすると、なんでそんな人と友だちでいるのと聞かれることがある。順番が違う。友だちだから、「そんな人」だろうと「あんな人」だろうと一緒にいるのだ。
しばらくイスラム教の建築を美しいと感じる話は、彼女の前では控えてみようと思う。どうしてもトルコに行ってみたいという話も、黙っておこうと思う。そして、彼女が笑顔でいられる時間が少しでも長くなるように、楽しい話をしようと思う。