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優しさの、おはなし。


こんばんは。

今日は、錆和紙アーティストの方とのお仕事で「 漉き込んでいる 」という素敵な言葉に巡り逢えました。紙に文字や模様が現れるように原料以外の繊維を混ぜて漉く(水に溶けた原料を掬って簀の上に平らに敷き、干してそれを作る)。また、木の葉などを中に入れて漉く。という意味の言葉みたいです。

生を享けてからかれこれ22年も息をしていて、まだまだ知らない日本語があって、素敵な言葉がある。そう思うと、まだ出逢ったことのない言葉との出逢いに想いを馳せて明日を迎えにいきたくなります。



そんな今日は、優しさのおはなしをしたいと思います。


“ 優しさ ” を自分の頭の中で分解する中で、私は周りの友人からよく、「 優しいね 」と言われることが多いことに気が付きました。


基本は、誰かのためにではなく自分のために親切心で動いていることが多いですが、
「 優しいね 」の一言で一括りにされるのが少し苦手です。もちろん言われて嫌な気持ちはしませんが、正直なところ良い気持ちもしません。


というのも、少し捻くれた私の考えでしかないですが、自分自身が誰かに対して優しいなと感じるときはきまって、自分にとって良しとすることを相手がもたらしてくれたときだと思っていて。

優しいをなるべく簡潔にまとめると、本人は誰かが自分に対して、良いことしてもらった!やったー!くらいの感覚で、内心はそんなだけど態度では大っぴらに表せられないから、申し訳程度でその内心を包むために相手に失礼でなくわかりやすい “ 優しい ” という言葉でたてかえているだけ、だと思っています。もちろん誰かからの “ やさしさ ” に触れることもあるので、素直に喜べばいいのですが。優しさにも二面性があるので、素直に喜べないのが煩わしい。


それでも、前述したとおり、誰かのためではなく自分のために自分以外の誰かに優しさを届けられているんだとしたら、その時はきっと自分自身に余裕がある時だと思っています。
それは、心、身体、時間、お金全ての要素において余裕がある場合を指します。



そもそものおはなしですが、自分自身に余裕がない時に自分以外の誰かに優しくなんてできないはず、と思っていて。


例えばですが、私が職場の人間関係に悩んでいるとします。あれこれ考え込んで心が疲弊している時に、友人の相談に乗ってあげるのは難しいことです。困っている人を放っておけない性格なので、なんとかしてあげたい気持ちこそありますが、自分自身の心の余裕がないために行動に移せないのが現実。


私の優しさは、自分自身の余裕がある時。というのはこういうことです。



誰かに優しくある前に、私に私自身がいちばん “ やさしさ ” を届けられる人でいたい。

そう、すごく思います。



今日も、ゆっくりお風呂に浸かって体にこびりついた一週間の疲れを癒したと思います。めぐりめぐって、誰かにやさしさを届けるためにも。




それでは、また。


05/21/2021 (fri.)

chiho.




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