『蜘蛛の糸』を読んでー読書感想文ー
◯はじめに
本記事は雅楽川レトラさんのメンバー限定配信(https://www.youtube.com/live/jIfiZ60c_P8?si=LArNNYbht5K5cOZi)に影響を受け、書き起こしたものである。
配信のタイトルになっているため、単に感想文を書いて公開することは何らネタバレに当たらないと了解している。
改めて読む機会を与えてくれたサラレトラオリヴェイラ雅楽川さんと、青空文庫の関係諸氏に感謝したい。
◯読書感想文 『蜘蛛の糸』を読んで
蜘蛛の糸、である。素朴に読めば「悪いことをしてはいけないと思いました」とか「思いやりが大事だと思いました」とか、その辺の小学生から借りた感想を100個も1000個も貼り付けられる。それこそ、世に書かされた感想文を極楽から地獄まで垂らしたら、亡者を地引き網で根こそぎ大漁にできるくらいの題材だ。それを今、改めて書こうとするのだから、少しは頭をひねらないとしょうがない。
さて、カンダタである。この短い小説の中に、彼の身の上はほんのわずか。火付け殺人泥棒の極悪人と、気まぐれに蜘蛛を助けてやったことがあるという、それだけ。悪党以外に生きる術が無かったのか、死体を踏みつけるのが楽しいシリアルキラーだったのか、想像しても答えは出ないばかり。ただふとした瞬間に「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、命が大事だという常識を持ち出す事が分かるばかりである。
本当に常識だろうか?
命が大事だと?
果たして動物として生きる限り、食い物として血肉を食い、身を守るとして虫を払い、子を養うとして土木を掘り返すさだめのあるこの世にとって、命というのはこうも軽く価値がなく不確かな物ではなかったろうか。子供の頃に地獄の話を聞かされて「そんなの誰でも地獄行きじゃん」とへそを曲げた日本人は私だけではないだろう。その意味では私自身も、これを読んでいるあなたも、カンダタとそう変わらない。いやさ、自ら手を下して命を奪っていたカンダタよりも、むしろ見ず知らずの他人に食肉を作らせ草を刈らせ、自身は素知らぬ顔をしている現代人の方が、尚更罪深いと言っても良いくらいである。
なんということだろうか。
我々に蜘蛛の糸は垂れて来るのだろうか。
いやしかし、しかしである。
私にも言い分はあるわけだ。つまり、カンダタとて、どうしていたか知れずとも飯は食っていたはずで、家があったか知れないが寝所もあったはずであるから、つまり、その、ねぇ。ねえ?
やっぱり人殺しをしたことのない私より、火付け盗賊のカンダタの方が、どう見積もっても罪深いでしょう? そうじゃありませんか?
とまぁ、そんなアンバイである。お釈迦様だってカンダタのわずか1回の情け心を見逃さずに覚えていたのだから、私が普段キマジメにサボりながら勤労と納税の義務を果たしているところも、ちゃんと見ていてくれないと不公平というものではないだろうか。ポイント制で言えば10対1くらいでカンダタの方が罪深いはずであるから、私の方は地獄の浅いところで剣山くらいの針の山を登るのがせいぜいなはずである。
が、ここで。
私の脳内の釈迦がささやく。
ポイント制とか、知らんぞ、と。
何だか現代の日本を生きているとーーこれは私だけが思っているのかはわからないがーー罪とつぐないは足し引きして0になったりできるような気がしてくるのだ。
つまり、芸能人が問題を起こして、やれ土下座が短いだとか、長すぎて無礼だとかいう話が上がってくる。一方で昔は非行に走っていたのが今は立派な政治家だと言う話が流れてくる。麻薬中毒者が刑務所から出ても働く場所がなかったり、犯罪組織を動かしていたエッセイがもてはやされたりしている。
そんな話を並べていくと、世の中のどこかに「許されポイント」と「罪悪ポイント」のパラメーターが隠されていて、ゲームのステータスみたいに人知れず計算されているように感じてくる。
しかし、違うのだ。
つぐなっても死んだ人がもどってくる訳では無いし、沢山の子を産んだから人殺しの許可が出るわけでもない。私の腕を折ってもあなたの腕は増えないし、あなたに足を生やしても私の足が無くなるわけではない。
「良いこと」と「悪いこと」は足し引きして0に戻せるわけが無いのだ。それはつまり、どれだけ善行を積んでも過去の罪が消えるわけではないし、どれだけの悪を行っても良い行いが無に帰す訳では無い。
傷も、罪も、栄光も、ただ過去に横たわっていて、人間には、これからどうするかを背負いながら生きる他選択肢がない。
改めて思い返すと、あまりに当然で、気の遠くなるほど重い事実だ。
しかし、だからこそ釈迦はカンダタに蜘蛛の糸を下ろしたのだろう。
たとえ数え切れない罪を犯しても、ただ一度の僅かな気まぐれで救われた命がある。その事実は変わらないのだから。
『蜘蛛の糸』はつぐないの物語である。