いいおとな
ホームシックになった。
故郷を離れて5年目になる。年齢としてはもう立派な大人で、働き始めてもう数年目になった。住み始めた頃はすべてが目新しく、やけに都会に見えたこの街にももう別段なんの感情も無いし、転職に失敗して少なかった給料がもっと減った。工場夜景が見えるから、5年間引っ越せずにいる。冷蔵庫は壊れた。忙しく働くことは全然苦では無かったし、暇なのは孤独な気がして嫌いだった。引っ越して3日目、部屋が静かで寂しくて泣いた。これが最初のホームシックで、バイトがうまく行かずに電気を消して泣いたのが2回め。転職活動に躓いた挙げ句、浪費体質に追い込まれて、またバイトがうまく行かずに死にかけた。3回目。
実家を出ることにはずっと憧れを抱いていた。兄弟の中では勉強面で手が掛からない子だった(と後に親から聞いた。弟が勉強を嫌いすぎるのだ)し、長女だったので、わかりやすく甘やかされたりしなかった、と若い自分は思っていた。門限は厳しいし、バカ殿は見られないし、夕飯の唐揚げは一人あたり3個までだった。地元にはなんにもないし。都会への憧れと、まあこのご時世、就職するならなにか資格をと、希望と、愛憎を半分ずつ持ってここへ来た。
それからどうなったかといえば冒頭の通りで。自分でもつまらない人間になってしまったと思う。電話もLINEも嫌いなので滅多に連絡はしなかったし、最初こそ頻繁に帰省したものの、次第にバイトだ、遊びだ、ライブだと理由をつけて頻度が減った。心底それを後悔したのが、祖父が亡くなったときで、自分の作品を、自分自身を愛してくれるひとを失くして気がついた。明日死のうと思って、最後に声でも聞いておこうと電話をしたとき、全部見透かしたような声であんたは大丈夫だと諭してくれた母に、引くほど愛されていることを知った。あんなに実家の米がうまいなんて知らなかった。
故郷にはなんにもない。わたしの愛する線路も、高層ビルも、スフレみたいなパンケーキも、洒落た服屋もない。けれどトルマリンより輝く海があって、大切な家族がいて、ご飯はあったかくて美味しくて、綺麗なばかりの思い出があって、余るくらいの愛がある。だから、それに見合わない自分が憎い。電話越しの声は少し無機質でとても暖かいけれど、やはり直接顔が見たいと思った。早く一端に自立したいと焦るけれど、この温もりを忘れるくらいなら大人になりたくないと言い訳している。祖母から苺と、実家から仕送りが届いた。まだまだ生かされていると泣いて、いい歳にもなってホームシックになった深夜。早く大きなキャリーバッグに、お土産をたくさん詰めて会いに行きたい。