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できない理由探しよりも、できる方法を探す問いを自問自答する。

人は弱い生き物。性弱説という考え方は、自分の中では最も理にかなっていると思う。うまくいかなかった時、つい「できない理由」を探して言い訳をしてしまいたくなるのも、また人間の弱さからくるものだろう。でもそんなものだと思っていれば、無駄に自責の念に囚われることもないし、他人を攻めることもなくなるかもしれない。

とはいえ、できない理由探しをしても、それは自分自身を守ってその場をやり過ごすことはできたとしても、その後に発展的・建設的な行動に結びつけることが難しいのではないだろうか。それよりもできるようになる理由をつくる。つまりできる方法を探す。工夫する。やれることをやりきる。

本当に自分にやれることはもう無かったのか。

視野を広げて考えてみる。
深掘りしてみる。

その時に意識したいことは「現実的な物の見方」だと私は思う。
それは事実を事実としてしっかりと認識することから始まる。そこに感情とか想いとかを含めないことが肝要だ。感情や想いなんて主観に過ぎない。だからいったん棚上げしてしまう方が冷静に物事を見ることができる。

現実的に整理して考える方法

感情というのは、案外とままならない。感情をコントロールすることができる方がいいに決まっているし、そのようなスキルを教えてくれる先生もいるだろうが、根本的に感情を完全にコントロールできているとすれば、その人は超人なのではないかと思ってしまう。ぶっちゃけると。もしくは「悟り」を開いているのんじゃないかと思ってしまう。
※もちろん激情型で周囲に迷惑をかけまくったり問題を起こす人は矯正したりする必要があるかもしれないので、全てOKというわけではないけどね。

感情って動くものだし、動くから「感動」があるのであって、感動する人間らしさは残していて良いと思う。

私はそれよりも、もしうまくいかなかったとしても、現実的に物事を捉えることができて、柔軟な視点と思考で捉えなおすことができる、本当の意味での楽観するチカラ(心理的資本におけるOptimism/現実的で柔軟な楽観力)を重視したい。そして、前向きに行動を起こし、立て直すことの方がよっぽど建設的だと思う。

その時に意識したいのは「自分にコントロールできたこと」と「自分にコントロールすることができないこと(=どうしようもないこと)」を徹底して分けて整理して考えることだ。これができるだけで、無駄に悲観して、できない理由を探して自分を守って、悲劇の主人公になろうとしなくても済むための第一歩になるのだ。

そうすると、自分にできることで、改善すべきところは改善すればいいと考えることもできるようになる。何か工夫できることはないか見つけようと健全に努力することができるようになる。

本当に自分にできることをやりきったか?
無駄に自分にコントロールできないことまで自分の責任に背負い込んでない?
次に向けて工夫できることや改善できることはある?
そのために活かせるあなた自身の資産や資源を整理して見いだせない?

できる理由を探すとは、こういうことではないだろうか。

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