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#792 僕に才能なんてあるわけないじゃん

久しぶりに自分の話をしてみます。

若かりし日の僕は、自分に何かしらの才能があると思っていました。

本気で頑張ればその才能が開花して、圧倒的な成果が出せるのだと。

その思い込みは最近までありまして、割と30代前半くらいまでは持っていたわけです。しかし、待てど暮らせどそんなタイミングは訪れませんし、圧倒的な成果どころかそこそこの成果さえも得ることができませんでした。

そんな僕は自分に対してこう言いました。

「僕に才能なんてあるわけないじゃん」と。


昔は才能ないと思ってました。

思えばバリスタとして世界一になろうと決めた時、僕は自分には才能がないと思っていました。齢23の頃です。

昔の僕は全く自信がなかったのです。

それもそのはず、僕は20歳の頃に鬱になって心療内科に登院しており、才能も何もあったもんじゃありませんで、何もないを通り越してマイナスでしかなかったです。

しかしその自信のなさが僕の猛烈な努力を生みました。

『僕には才能がない。だから、他の人の10倍、20倍頑張らないと成果は出せない。圧倒的な成果を出そうと思ったら、100倍は頑張る。しかも僕はあがり症だから、本番では練習の10%くらいしか出せない。だから練習では2000%の結果を出す!』という言葉を胸に、尋常ならざる努力を繰り広げていたのです。

周囲の人からは完全に頭がイカれていると思われていまして、「こいつはコーヒーと結婚するらしい」なんて言われていました。僕が当時を振り返っても頭がイカれていたとしか言いようがありません。1日にコーヒーを24杯飲んでいる時もあったくらいです。狂っていました。

しかし、そんな僕の努力は実り、地元のラテアートの大会で県で一番になれたのです。その時は信じられませんでしたが、時間の経過とともに自信がついていきました。

やればできる!と。

しかしその自信は間違った勇者モードへの入り口だったのです。


店長も、やればできる!と思っていたのですが、、

ラテアートで一定の成果を出した僕でしたが、そのままコーヒーに突っ込まずに路線変更して、今働いている会社の社員になって幅広く学ぶことに決めました。

主には店長になってマネジメント業務を学ぼうと思ったわけですが、この時僕は「やればできる!」と思っていました。

しかし多少の自信がついた僕の努力はコーヒーにかけた努力量とは天と地ほどの差でして、普通に頑張っている程度でした。努力はしましたが、それじゃ足りなかったんです。ちょっと勇者モードに入ってしまい、やればできるから大丈夫的な考えを持ってしまっていました。

しかも、その時の僕は自分の一番苦手な部分に対峙していました。というのも、元々僕は生粋のコミュ障でして、鬱病になったことでそのコミュ障を爆発させていました。

人とコミュニケーションが取れないし、声も小さくて何言っているかわからない。目もそんなに合わせませんし、緊張するとすぐに震える。人に強くいうこともできません。そもそも人に対して興味関心がない。部下が何かをやり遂げてもすごいと思ったことすらありませんでしたし、褒めようとも思いませんでした。

そんな僕です。うまくいくはずがありません。

努力はしたものの結果は出ず、むしろどんどんマイナスになっていきました。

気づけば出勤前に公園に行ってぼーっとしている状態です。これは鬱病の一歩手前、まさしく適応障害です。

そんな僕に劣勢を打開する策も勢いもなく、成果は出せずに降格人事で移動となりました。当時の部下や同僚は僕を抜いて役職上上司になりました。メンタルズタズタ、自身も何もあったもんじゃありません。

「分相応に生きようかな…」なんて思っていました。


堕ちきれなかった理由

降格人事で移動となり、部下や同僚に抜かれて僕はもう虫の息でした。

会社も「もうこいつに管理職は無理だろう」と、商品開発だけをやることを勧められる始末でした。

しかし僕はなぜか諦めたくなかったんです。

その理由はいとこの兄の自死があったからです。

いとこの兄は料理人として修行して、お店を開きました。唯一の味とまではいきませんが、どのメニューも味は美味しく、素晴らしかったと記憶しています。

しかし、お店は長く続かず、閉店してしまうのです。そして自信や自己効力感を失ったいとこの兄はそのまま鬱病になってしまい、練炭自殺を図ってこの世を去りました。

いとこの兄は、美味しい料理を作ることができました。しかし、その届け方までは学んでいなかったんです。お店の立地も誉められたものではなかったです。マーケティングなど、今思い返すと、運営面で課題が多くあったように思います。

そんなことを思いつつ、自分の失敗や肌で感じた飲食業界の実情から、飲食業界のリテラシーの低さを感じました。

また、いとこの兄と同じような境遇の人を、作ってはいけないと決意しました。



尋常ならざる努力、再び



諦めてはいけない。


僕は心の奥底で何度もそう呟いていました。

「自分がこの現状を変えるためにも、まずは自分を変えるのだ」と思い、折れそうな心を必死に支えて立ち上がりました。

いとこの葬式で覚えた無力感と虚しさを思い出し、心を奮い立たせました。

そして自分には才能がないということを、嬉しく思い始めました。

才能がない僕が、売り方を覚えて成果を出すことができれば、料理の技術を持つ人たちはもっと楽に売り上げが取れるはずだ、と。

上等じゃないか、やってやるぜと、自分の才能の無さに対する反骨精神が湧き上がりました。

そこからです。尋常ならざる努力が始まったのです。

しかし、なかなかうまくいきませんでした。それもそのはず、前述した通り僕のスペックはたかが知れていたのです。加えて師匠的な人もいません。当時の上司も人を育てることができる人はいませんでした。

なかなかうまくいかない。このままでは…


追い風となる、コロナ到来

努力しても成果がなかなか出ないと思い悩んでいた、その時、コロナが来たのです。

街は封鎖され、飲食店も軒並み営業を停止。僕の会社も例外ではありませんでした。

命をなくした人も多く、僕のこのような考えはやましいかも知れませんが、「チャンスだ!」と思いました。

多くの人が仕事を中断して何もしないという選択肢を取る中、「ここで努力すれば追いつけるかもしれない!」と思ったのです。

妻に仕事だからと言って家を出て、誰もいない仕事場や、開いているカフェに行き、怒涛の勉強を敢行しました。

本は年間にして100冊程度と、あまり読むことはできませんでしたが、音声コンテンツを倍速で8時間聴き続けたり、筆記開示やジャーナリングによって思考力を鍛えました。

時短営業になってからも仕事だからと嘘をついて早く帰らず、残って勉強していました。無我夢中で勉強したのを覚えています。



結果が出始め、昇格に次ぐ昇格

猛勉強の末、管理しているお店の売り上げは上がっていきました。

その後、店長に昇格します。

そして、さらに売り上げを伸ばしつつ、2店舗を同時に管理する状況となりました。そして上司が抜けたタイミングもあり、さらに昇格してディレクターという全店を管理する役職につかせていただきました。

ラッキーな部分もあったので、全てが自分の努力のおかげとは言えませんが、努力あってこそだと思います。

僕のようなポンコツが、こんなところまで来るなんて…当時の僕は信じられなかったと思います。

しかし、まだまだ道半ばです。満足のいく結果は全く出せていません。

次なる課題は部下育成です。僕の理想はまだまだ遠いのです。

しかし次はしくじりません。僕に才能がないということを忘れないからです。あるのは努力と根性と気合いだけです。

スペックがポンコツすぎて、40歳をすぎてもこの状況ですが、ここからさらに頑張ります!

いくぜ!

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