変化
自分の指導を振り返る。vol.16
10年前。
本校の校則が、あって無いような時期があった。茶髪、ミニスカ、腰パン、リボンをタラ〜ン…etc
記憶にあるのが、職員会議での校長の発言『中学校の保護者が学校見学の時に、この学校は茶髪OKなんですか?という質問がありました〜〜』というもの。
式典時だけの、生徒に指導したフリをする教員の数々。思いっきり熱く指導し、取り組まない教員への苛立ちを見せ、心が折れた教員や、生徒の反発が怖くなり、指導ストップなんて教員もいたのは事実。
服装なんてどうでもいいじゃん!という教員も当然いた。私である。東京都の公立高校出身の私には、通常であった。見た目で人を判断するな、身なりなんて関係ない、人間の勝負!って若かりし頃は異常に思っていた。
そう、あの人の言葉で行動が変わった!
『みっちゃん!一緒に校門立とうよ。生活指導やろうよ』(みっちゃんと呼ぶのは、彼だけだ。)初特進(難関校を意識するクラス)の担任となり、遊びの意識より勉強が娯楽となったら、結果が出そうだなぁという考えにも至り、賛同した。自分の考えも伝え、タッグを組んだ。
自分の考えは、過去の失敗事例を受けての意見。
『絶対に1年間はやり続ける。絶対に威圧しないで、ユーモアで勝負する』
である。ユーモアで変わるのか?って思うところも確かにあった。実際、校門で服装を直して、教室では元通りなんてパターンは日常茶飯事。まさに、「イタチごっこ」であった。
1か月くらいで、指導の無意味さを感じ『もうそろそろ、イエローカードやりません?きりがない』威圧で片付けたい願望を提示する俺。(イエローカード=違反キップ。何枚かたまると処分というもの。)
そんな自分に。
『まだだよ!みっちゃん!』の一声。
器の大きい先輩に、何度八つ当たりをし、何度目を覚ましてもらったことか?自分のユーモア勝負という発想は、既にteamの意見となっていた。仲間の大切さは本当に偉大である。
色々な人からの、取り組みを讃えてくれる声が、『誇りや継続力』につながった。仲間内の飲み会なんかでは、こんな発言をしまくっていた気がする。
『今みんなでやって、昔は荒れてだけど、今凄い良いよね〜なんて将来語ろうよ。絶対に美味い酒が飲める!』
こんな声掛けに響く奴がいた。教員は基本、熱い。校門に立つ教員の数は増え、中には非常勤講師の先生も(数年後に、専任になった。そりゃそうだ)。怒る指導を、好き好んで行う教員はいないが、ユーモアの勝負を好む教員はいる。楽しいは、人を動かす。仲間が増える度に、より笑顔が増して良い指導となった記憶が頭の片隅にある。ありがとう。
生徒からの反発は当然ある。特に2、3年生。そりゃそうだ。急に制服、頭髪の厳しい指導が、始まったのだから。だけど、指導をこなせばこなすほど、説得レベルは匠レベルに到達する(自己満)。慣れは凄い。経験は凄い。
例えば、
『何故、こんな急に厳しくするんですか?』(ごもっとも)
加藤『たぶん、ずっとこのままだと、今後の学校の評判は悪くなる。見た目で判断するな❢って言いたいけど、見た目でしか判断できない時、親の立場として、どういう学校に入れるかな?子どもがイジメられるかもって雰囲気の学校はどう?だから、このままだと人気無くなり、偏差値下がり、荒れ、廃校なんてのも…ありそうじゃね。将来、自分の子供から、高校どこ?って言われて、〇〇高校って言った時に、ヤバ🥶ってなるか?凄っ😄てなるか。どっちが良い?それを守りたいんだよ。』って理屈で返す。恩着せがましく、あなた達の将来のブランドの為と定義した。理解をしてくれたかどうかは不明だが、コイツに言っても無意味って感じから、諦めて直すといったところだった…😁
茶髪の生徒の例。
染めていても、『染めて無い!』と言い通す生徒は実に多い。
そこで言う発言。
『一回だけ(大袈裟に)、俺の美容師のネットワークと勝負してくれない?あなたと親と、俺と校長と美容師呼んで、髪の毛を見てもらう。一回ぐらい疑っても良いでしょ!お願い!!!!これを乗り越えたら、堂々と生きれるしね。だけど、もしも、染めてたら・・・まー立場がどうなるかわからないけど…😁』
この手口で、素直に認めなかった事例は無い。というのも、染めているか染めていないかの判断は超簡単。校長まで辿り着いた経験はないっす。
結局この手口って、脅しですね☆ははは😁
一年間、継続後、校長が動いた。結局は、イエローカードの徹底を図り、見事にそれから2年。すなわち、スタートから3年で変化を遂げた。見た目が凄まじく変化した。
(結局、威圧だったのかな…。ユーモアの敗退かな…?)
指導を通して気づいた事
①学校改革はトップとかボトムとか関係なく、思いを共有する仲間の存在で大きく動くという事。立場は関係なかった。当時27歳。1人では絶対に無理である。仲間を作ることが、動かす秘訣であることを学べた。
②授業はできるけと、生活指導が出来ない?しない?教員って実に多く、指導が横一線になる事で、指導のしやすい環境が整った。生活指導を苦手とする教員が、指導をしている姿が実に微笑ましい。
③一番は、生活指導を必要とする生徒のバックグラウンドを知れた事。家庭環境の劣悪が、乱れにつながっているという状況を知れた。当然、全員では無いが、家庭環境が身だしなみの乱れに直結する可能性はありそうだ。
それに気づいただけではない。家庭環境がピンチな子が、1年間の指導で、担任とかの枠組みを超えて、気軽な話から、頼ってくれるようになった。メッチャ指導はするのに。寄ってくる。
本当の生活指導はコレだ!ということに気づけた。身だしなみを整えるとかではなく、生活の相談の窓口となる。毎日の声掛けというノックが、生徒の心をオープンにし、悩みを打ち明けさせ、人生の相談相手となる。その過程こそが、生活指導なんだと!恋愛、学校辞める、死ぬ…etc。人生の悩み、生活の悩みにピックアップした指導が生活指導なんだと気づけた。
やる意味無いよ。校門に立ってまで。
という意見も聞こえて来そうだが、やってみて気づくことは本当に多い。やらないで語るのは、簡単で、やって得られるものが実に多い。やって良かった。誘ってもらって良かった。逃げ出したいときも、廊下歩くのが嫌になることも、生徒と顔を合わせることが怖くなることも、色々な感情を抱いたことも本当にあった。だけど、乗り越えられたのは、本当に仲間の存在と、ただの意地。そこで、共に戦い、汗を流した教員がピンチな時には、俺は助けに行くだろう。助けてもらった分、どんな人を敵に回しても助けるだろう。本気でそう思う。みんなで助け合うことで、大きな一歩を踏み出した。踏み出せた。そう思う。
『トップがな~』っとかいう前に、自分が行動できる最大限をやる。それを見た、トップが動くというのが教育界なのか?いやどこでも同じじゃね?とさえ思う。やりたいことは全てやる精神をこれからも貫け。
俺!!!
追伸 今でも見た目は関係ないよね!って思考の派閥です。
では。