変化を好まない民が残す未来
今回は軽いノリで妄想のお話しをしたいと思います。
視点を楽しんでいただける文章になっていれば幸いです。
今回テーマの変化を好まない民と聞くと我々日本人を連想する人が多いのではないでしょうか?
そして変化しない人がとてもネガティヴな要素を社会にもたらすと感じる人も多いかと思います。
ですが変化しない事によるネガティヴに関しては、色々な人が十分な発信をしてると思うのでここでは話しません。
そこでポジティブな側面から妄想を膨らませみたいと思います。
ポジティブな側面を考えると多数見つかるかと思いますが私が今ふと思ったのが
未来に過去を残せる事だと思います。
以前こんなつぶやきをしました。
我々は個人の一生(100年あったとしても)では大した事はできません。
先人達が残したものの上に積み上げて発展してきました。
※時には先人達が残したものを塗り替える事もあるが。
我々人類は未来を目指す時、過去を振り返る。
そしてとても過去を丁重に扱う。
古い書物を大切に保管したり、建築物や歴史的な街並み、古びた路地裏的な飲み屋街、ビンテージの洋服やレコードを楽しむ人など過去を大切にしているのがよくわかる。
これら過去達は2つの目的があるように見える。
1つは過去を手がかりとして未来の危険を回避したり、発展を目的とする事。
2つ目は異世界探索(浪漫飛行という言葉がよく合う)のような娯楽的目的で、過去を楽しむのも人間の習性と感じます。
遠い昔に閉鎖された大陸から海に出た者も異世界への欲求があったのかも知れないし、グローバル化で手軽に海外に行けるようになった今は宇宙や仮想現実という異世界に浪漫を感じるのかも知れないし、手軽な異世界が過去なのかも知れない。
このように発展と娯楽にも過去は欠かせない要素だと思う。
今、激動の時代に変化を苦手とする我々日本人はそのスピードについていく事は短所で勝負する事でほぼムリゲー。
であれば思い切って変化しない事を付加価値にして世界の流れから脱線した生き方もありではないかと感じます。
今先進国の人々がアフリカの狩猟採集民族に抱いている事は異世界への興味と歴史や化学的な研究対象としての価値だと思う。
侵略の対象にならないのはそういった希少価値があるからではないだろうか?
そして我々日本人が狩猟採集民族の次に古い文化形態を持つ人類になるのはどうだろう?
未来の世界では、
A「日本行った事ある?今だにお金を使ってるらしいよ。」
B「お金ってなに?」
A「労働の対価で物やサービスと交換できる紙や鉄クズの事さ。」
B「意味がわからないよ。」
A「しかも土地も全て個人や団体に割り当てられているらしい。あとお酒とかタバコっていう毒を体に入れて喜びを感じているらしいよ。」
B「そんな世界があるならいつか見に行ってみたいよ。」
こんな様な会話されているかもしれないが、もしかすると気質にあった未来なのかもしれない。
私の妄想にお付き合いいただきありがとうございました。