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【“きょうだい児“×福祉のお仕事のお話】
こんにちは。
いちご狩りに行っていちご乱獲イベントを発生させたい中山みずいろです。
わたしは新卒でいまの会社(某就労移行支援事業所)に入社し、障害のある方の就労支援をしています。
きょうだい児であることを周りに開示すると、
中山さんって弟さんのことがあるから福祉の仕事についたの?
と聞かれることが多いのですが、
答えはYESでもあり、NOでもあります。
今日はわたしが福祉の仕事を志すに至ったストーリーをシェアさせていただけたらと思います。
そもそも就労移行支援ってなに?
本題に入る前に、
この記事を読んでくださる方の中には
『就労移行支援』をご存じない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単にご説明しますね。
▼就労移行支援事業所とは?
障害や難病のある18歳〜65歳の方が一般企業への就職を目指して訓練を行う福祉施設のこと
▼どんな障害の方がいるの?
わたしの働いている事業所ではだいたい以下のような割合で障害のある方が利用されています。
精神障害の方:6割
発達障害の方:3割
知的障害、身体障害、難病:1割
▼利用するための条件は?
障害者手帳、自立支援医療、主治医の意見書のいずれかがあれば利用できます。
※就労移行の利用が適切かどうかは最終的にお住まいの市役所、区役所が判断します。
就労移行支援事業所の支援者ってなにするの?
わたしたちの支援者のお仕事はかなり多岐に渡るので、基本的なタスクだけここではご紹介します。
▼面談
担当している利用者さんと面談を行います。
面談の目的により内容は変わりますが、
わたしは主に利用者さんの強みや課題フィードバックしたり、障害特性についてご本人と理解を深めるための面談をしています。
簡単に言うと利用者さんの自己分析/障害理解のお手伝いをするイメージです。
▼プログラム
職場で使うビジネスマナーや
体調をコントロールするためのストレスマネジメント、
対人関係を上手に築くためのコミュニケーションスキルなど、
お仕事をするうえで必要な知識やスキルを
利用者の方に身につけていただくための講義を実施しています。
▼企業連携
実習や面接の調整を行います。
また、就労移行支援とは別の定着支援になりますが、
ご就職された利用者さんの勤務先に訪問し、
困りごとが起きていないかなどヒアリングする定期面談を行うこともあります。
▼通院同行
利用者さんの通院に同行し、
こちらから主治医の先生に利用者さんの訓練中のご様子を共有したり、
反対に主治医の先生から利用者さんの特性や体調に関する見立てを伺ったりします。
毎日このようなタスクをこなしながら、
わたしは障害のある方の就労支援に携わっています。
福祉の仕事を志すきっかけになった言葉があった
いろいろと書きましたが、
本題の『なぜわたしが福祉の仕事を志したか』についてここからお伝えしていきたいと思います。
わたしが福祉の仕事をしようと思った始めたそもそものきっかけは、
やはり弟に障害があったからだと思います。
ですが、福祉の仕事を選んだのは紛れもなくわたしの意思でした。
わたしはある先生の言葉を聞いた時に、
福祉の仕事を通して
わたしが生きやすくなる社会=きょうだい児が生きやすくなる社会
をつくりたいと思ったのです。
自分の知識や経験をバトンとして次の世代に受け継ぐことで、少しでも何か変わるといいよね
高校生の頃に担任の先生とは別によくわたしの面倒を見てくれていた社会科の先生がいました。
その先生が授業でこうお話ししていました。
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自分は教育という形でみんな(生徒)に関わっている。
その中で、自分の持っている知識やものの考え方、こういう時はこうするのが人として優しいよね、みたいな感覚を伝えたい。
そして、それを受け取ったみんなが、
自分の言葉をそれぞれなりに解釈して、
次の世代に渡していってくれたら。
それが何かが変わるきっかけになったら。
それってすごい嬉しいことだよね。
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この言葉を聞いた時、身体の中の血液の温度が少し高くなったのを覚えています。
前の記事で書いた大学教授からの言葉もここで思い返され、
わたしのきょうだい児としての苦しみは
わたしがきょうだい児だからこそわかる苦しみで、
わたしだからできることが何かあるのかもしれない。
そう思い、わたしは福祉の仕事につくことを決意しました。
きょうだい児のわたしが支援者になったいま
支援者として働き始めて丸3年が経ち、
今年の4月から4年目を迎えています。
この3年間におけるわたしのポジティブな変化は5つあります。
①障害領域に関する知識が増えた
様々な障害を抱えた利用者さんと接するので、
その都度必要な知識を現場でどんど吸収し、
学ぶことができています。
知識が増えたことで、
『こういう困りごとの時はここのサービスを利用すればいいんだ』
『社会資源ってこうやって活用するのね』
と、自分からアプローチする力が身につきました。
今は弟に対して必要があればわたしが動けるぞ、わたしが困らないために福祉に頼れるぞ、という自信のようなものがつきました。
②言語化する力が身についた
支援者は、利用者さんの体調や気持ちや生きづらさを時には代弁します。
「いま〇〇さんが言いたいことってこういうことですか?」
「〇〇さんはこういうことが辛くて悲しかったのですね。」
このようなやりとりを日常的に利用者さんとしているので、自然と言語化力がついてきます。
また、毎日の支援内容を記録にまとめる作業も相まって、言葉のレパートリーも増え、表現できる力も身につきました。
言語化する力が身についたことで
わたし自身の気持ちや生きづらさを他者へ伝えられる機会も増えましたし、
一つひとつの言葉を大事に選びとって相手に投げかけることができるようになりました。
③環境変化にちょっぴり強くなった
わたしは環境適応がかなり苦手で、
初めていく場所や初めて話す人に対する拒絶感がとてもありました。
(たぶん、根底に『わたしなんか受け入れられない』といった感覚が植え付けられていたのだと思います)
ですが、支援のお仕事は毎日が変化の嵐なので、
言わば荒療治的に変化への耐性が強まりました。
このタフさは今後のわたしの人生においてきっと強みになると思います。
④取り繕うことなく語り合える同期や、わたしのことを見守り、承認してくれる先輩や上司と出逢えたことで心理的安全を獲得できた
とにかく同期、先輩、上司に恵まれました。
わたしの想いを「それってすごく素敵なことだよね」と受け止めてくれる同期や先輩、
「中山って地頭がいいし、支援力も高いよね」と評価してくれる上司がいます。
この人たちのおかげで
わたしってここにいてもいいんだ
という安心感を得ることができました。
⑤親に対する“共感的理解”が少しだけできるようになった
これはあくまでもわたしの場合なので、全てのきょうだい児さんに当てはまるものではないという前提のもとでお伝えしますね。
わたしは仕事で利用者さんとだけでなく、利用者さんのご家族と面談することもあります。
その中で“親の想い”に触れる機会が何度かありました。
『子ども(障害者)が生まれるまで、自分が障害のある子どもを持つ家族になると思ってもみなかった。』
『私たち親が死んだ後、子どもはどう生きていけばいいのでしょうか。』
このような声を聴いていくうちに、
もしかしたらわたしの親も同じだったのかもしれない。
わたしの見えないところで葛藤して、苦しんで、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。
と思うようになりました。
わたしも25歳をすぎて同級生には子どもを産んでいる子もちらほらと出てくる世代になってきたこともあり、
きっと大変だよね、子育てって。
と親に対して共感的理解をするようになりました。
もちろんそのことと
わたしがきょうだい児として苦しんだこととは別の話ですが、
親への理解が深まったことで少しだけわたしは生きやすくなりました。
一方で、こんな変化もありました。
それは、体調を崩しやすくなったということです。
利用者さんの対応を日々していく中で、
どうしても彼らの苦しみや困難さに引きずられてしまい、自分の経験とリンクして辛くなってしまうこともあります。
一番きつかったのは、弟と似たような利用者さんが事業所内でパニックを起こし、暴れた時のこと。
なかなかハードなパニックだったので
咄嗟に男性職員が半ば身体拘束のような形で対応していたのですが、
その光景をみる他の利用者さんのなんとも言えない『あの視線』が、
弟がパニックになった時に周囲から向けられてきた視線と重なりました。
その件があったあと、わたしはフラッシュバックを起こして過呼吸になって倒れました。
今でもあの光景を思い出すと、過呼吸になりそうで苦しいなと思うこともあります。
ですが、体調を崩しやすくなったというのも悪いことばかりではないと考えています。
・わたし自身が自分のきょうだい児という役割を受け入れてきているからこその反応である
予防接種のあとに一時的に副反応で熱が出る、みたいなイメージです。
回復するうえで必要な過程なのかなと感じています。
・体調が悪いことを素直に発信できるようになっている
大学生の頃までは、体調がどんなに悪くても親や周りに心配をかけないように必死で隠していました。
いまは、体調が悪い時に受け止めてくれる人がいる安心感があるからこそ、発信できているのだと思います。
自分で納得して福祉の仕事を選んだことで
わたしは生きやすくなった
きょうだい児さんの中には
福祉の仕事をしたいと思っていても、
過去の辛さや苦しみが先行し、
一般企業のお仕事を選ぶ方もいると思います。
その選択も正しいし、
わたしのように福祉の仕事を選ぶのも正しいんだとわたしは思っています。
わたしの場合は、心から信頼できる同期や上司のいるとても恵まれた環境にいられるからこそ、
仕事の時間がわたし自身の生きづらさと向き合う時間になっていて、
それがある意味でセルフケアになっているんだと考えています。
まだまだ仕事を始めて4年目の新米支援者ですが、
これからもわたしができる範囲でわたしのバトンを渡していけたらと思います。
中山みずいろ