どこに焦点を定めるか?
基本は音楽の話ですが社会の価値観、情報の価値などにも共通する事柄と感じる昨今。
幼い頃、初めて音楽に魅入られた時、その何が自分を惹きつけているのか説明出来る言葉など大概の人は持っていない気がします。
もし思い当たったとしても、後にそれが勘違いであったりもするのではないでしょうか。
私は小学生の頃、父親にピアノを教えられ、後にトランペットを習い、結局、両方とも辞めてしまいました。
とはいえ音楽を止める事は無く選んだのはギター、それもエレキギターでした。
今となっては遠い昔の話過ぎて正確な事は分かりませんが、誰かに教わるのが辛かったと言う記憶があります。
人に習う!は当然、正解を押し付けられる事になり、楽しさの類は、音楽のそれよりスキルアップの楽しさに焦点が向いていた様に思います。
勿論それも大切な事であり、後には大いに役立つわけですが、子供だった私には分かりませんでした。
私がエレキギターを選んだ理由は幾つか思い当たります。
最大の理由は、クラッシック愛好家だった父の領域外だった事です。
私の気に入ったエレキギターの使われている音楽は父に言わせれば「雑音」であり「騒音」でしかなく音楽ではなかったわけです。
私としては単に大きな音に包まれる快感と音楽的基礎の様な物が必要無く、自由な音楽に思えたのです。
勿論、実際には音楽的な基礎知識や技術も必要だったわけですが。
最初はラジオから流れる外国のロックのサウンド、そして地元が観光地だった事もあり夏になると海水浴場に面したサーファーショップのテラスで地元のお兄さん達のバンド演奏の音に惹かれて行きました。
中学生だった私にとってロック、エレキギター、この2つの言葉が好きな音楽を表す物となりました。
ところが少しずつ気付く事がありました。
ロックと言っても種類がありエレキギターと言っても思っていた音とは随分違う演奏、音を出する人もいると知ったわけです。
歳を重ねる毎に、ロックにもエレキギターにも苦手なサウンドがある事に気付き、反対にジャズやエレキギターが使われない音楽にも魅力を感じ始めると、そもそも自分が求める音楽とは形式にも楽器にも無関係な要素に起因しているのだと理解し始めます。
その正体は、未だに完全な言葉には出来ないでいますが確実にあると強く感じています。
「あの楽器があれば!」「あのテクニックがあれば!」と考えることもしばしば。今思えば時間と金の浪費だったのかと感じる事もあります。
話は戻ります。
音楽をする多くの人は、何かしら聴いた音楽から刺激を受けて今日に至るわけです。
何に魅入られたのか?に興味を持つ前に、上手くなりたい!と考え勝ちです。
結果、上手い人に教わる事、学校に行く事、などで願望が叶うと思う事になります。
正しい発声、正しいフォーム、正しい音程、正しい作曲、など、正解を知る人達が正解を出せる様に導いてくれるわけです。
ある人は他者の演奏を聴いて音程が悪い!と言い、ある人はリズムが悪い!と言い、またある人は発声法がなって無い!と言うわけです。
自分が魅入られた物が、正しい発声であったのなら、その人に習う事は正解かも知れません。
いつの間にか良い音楽の、基準を示され、まずはそれを目指す事に決め、それを手に入れる事自体が音楽をする目的になる場合があります。
スキルアップの喜びを否定しているわけではありません。
ただ誰かが作った基準、多くの人達が積み上げた基準がいつも自分に相応しい物とは限らないわけです。
社会生活を営む上で、適応力を身に付ける事はとても重要です。
勿論聴いた人達が喜ぶ事はどんなミュージシャンにとっても嬉しい事ではあります。
だとしても音楽が、自分が感動した物の正体を追求する!それを楽しむ物であって欲しいと思うのです。
勿論、知識や技術、学校的、常識的な価値観も役には立ちます。とりわけ現状に対応する上では。
けど逃れるべき物でもある気がします。
音楽だけで無く。
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