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「3・11を忘れない双葉の会」に参加して






☆はじめに

こころと身体を調える整体師のミホコです。
9月21日(土)第5回「3・11を忘れない双葉の会」(以下、双葉の会)に参加して来ました。

双葉の会は、原発事故で牛飼いという生業と土地を奪われた被災者の鵜沼久江さんと、その姿を追って映画にした堀切さとみ監督が中心となって、原発事故後埼玉県加須市騎西高校に避難した双葉町民の方や、支援者の方々など2ヶ月に1度、原発関連の映画を観て参加者の皆さんでフリートークし、その後交流をする会です。
Podcastラジオ「The Rainbow Connection 」でお話いただいた渡辺政成さんが主催者の1人として関わっていらっしゃいます。

Podcastラジオで双葉の会の活動を聞き、是非参加してみたいということで、ようやく加須まで行ってきました!


☆双葉の会の様子

上映された2本の映画

■土井敏邦監督『パレスチナからフクシマへ』パレスチナの人権活動家が福島県飯舘村を訪ね人々と交流する映画
■堀切さとみ監督『井戸川克隆さんと行く13年目の双葉町』
現在、裁判で闘っている井戸川元双葉町長が昨年12月20日に双葉町役場を訪ねた時の映画

これらを観て、参加された皆さんが感想を述べたり、被災した経験から感じてらっしゃることを語っていらっしゃいました。

私は午前中仕事をしてからの参加だったので、堀切さんの映画だけしか観れませんでしたが、
それでも十分に被災された方々の思いを感じることができました。

 

井戸川さんは、地方自治体の元組長として、事故当時、情報が伝わってこないことで、厳しい判断を強いられたことがわかりました。
裁判で様々な真実を記録に残すこと、そして同じ轍を踏まないように全国の自治体組長へ警鐘をならし、闘っているのだということが映画と監督のお話でわかりました。

事故から13年経った町役場で、井戸川さんは、「ここは壊れていないんだ。原発の施設が壊れたということが色々物語っている」
というようなことを仰っていたのが印象として残りました。

裁判の詳細はこちらから↓


国や東電は、憲法で保障されている人権(原発事故被災者の)を蔑ろに踏みにじっていることが伝わってきます。

☆忘れてはならない

放射線量はまだまだ高く、到底、人の住める値ではない。年間20ミリシーベルトって、事故前は原発労働者が白血病を発症し労災認定を受けられる基準の値でした。
住民置き去りの復興、被曝を強いる環境でどうやって暮らせというのですか?

原子力非常事態宣言はまだ続いていることを私たちは忘れてはなりません。

そして、今も差別に苦しんでいる人がいることを忘れてはなりません。

そして、そういう差別を生み出しているのは、私たちの社会であることも忘れてはなりません。。


【追記】
マスメディアや出版界では『原発事故を扱うのはもういいだろう』と語られているそうです。
原発関連の作品を出版するのが難しくなってるそうです。

さらに、参加された鈴木邦弘さんのnoteです↓


☆こころに残ったこと

交流会で、自己紹介してるとき、
自分の子育てに悩みどうしたらと途方にくれている時、子育て支援の活動を始めたという方がいらっしゃいました。。東日本大震災が起こり、被災され、埼玉に避難されて来た子育て世代はどうしているのだろうか?と思ったことから、双葉の方々と交流が始まったという方がいました。

自分の悩みを解決するために動き始めたことが、共に生きることにつながり、社会の窓となることを体験なさってる方に会えて、なんだかとても嬉しくなりました。

映画監督の堀切さんも、「自分のできることを自分のできる形でやっていく」ことが大切なんじゃないかと感じていると仰っていて、私も勇気をもらい、自分のできることを頑張っていこうと思えたとても有意義で充実した時間でした。

☆さいごに

鵜沼さんは、被災された方々の気持ちがわかるからと、今年1月に起きた能登地震の被災者の方々に思いを寄せ、ご自身で作られた野菜を被災地支援として届け、ご自分の体験も伝えているそうです。
奇しくも私が加須を訪れた日は、その能登に線状降水帯が発生し、また、大きな被害をもたらしました。

鵜沼さんは能登にこころを寄せていました。



☆ご紹介


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