誰かのために時間を使う
秋めいてきた。
玄関をあけると、金木犀の香りがほわっとただよってくる。
しかも、空がうんと高く感じるような、気持ちのよい秋晴れ。
今日は、夫の検査の付き添い。
数か月前から、体調不良を訴える夫。
もしかしたら、脳が原因かもしれないと一応調べてもらうことに。
ただ、ドクターによると、その可能性はかなり低く、「念のために検査するだけですよ!と」、くぎをさされてはいる。
そして、当の夫も、検査をするとなった途端、不調を訴えるのをぴたりとやめてしまった。
安心したのか、なんだか、むしろ調子がよさそうである。
まあ、それも検査の結果をきかないとわからないけど。
検査の日である今日は、夫の五連休最終日。
なぜか、夫の職場は、この行楽シーズンに秋のお休みがある。
なんて素敵。
しかし、
しかし、
しかし、夫は、はじめから、この五日間を在宅の仕事にあてこむことにしており、このよき季節を楽しむ気は全くゼロなのだ。
もったいないとは思うけど、それは、個人の感覚の違いだからしょうがない。
ただ、巻き込まれるこちらとしては、めちゃくちゃ迷惑である。
仕事の邪魔にならないように、好きな音楽も聴けず、掃除のタイミングも気を使い、しかも、毎食の準備。
令和の時代とは思えない。
それも、えらそうにしているのなら、大喧嘩でもできるんだけど、わざわざ目をしょぼつかせながら、「ありがとう。」とか言うから、よけいに腹が立つ。
生活ってお互い様だから、相手が忙しい時に協力することは惜しまないけど、でも、これって、逆もしかりとはならないところに腹が立つ。
わたしが忙しい時には、
「やりたいとは思っているけど、力不足でできないねん。自信がないねん。」
この、一言で終わらせられる。
もし私が、「力不足だから。」「自信がないから。」という理由で、仕事も家事も育児も放棄していたら、いったいどうなっていたんだろう。
力不足でも、自信がなくてもなんでも、やるしかなく、やれるように必死で考えて行動してきただけのこと。
もう、いったい何なんや~~~~~。
わたしのために、時間を使うことはないんかい~~~~~。
と、怒りながら、夫が検査をしている間、病院の近くのカフェで一人モーニングを食べる。
天井がうんと高く、隣席との感覚も広く、厚切りふわふわトーストと美味しい珈琲を飲ませてくれるそのお店。
平日の朝なので、お客さんはちらほら。
おかげで、ゆったりと過ごすことができる。
検査の時間は、そこそこかかりそうなので、新聞を持ちこんで、ゆ
っくりと読む。
読みながら、隣席の人々の会話を、聞くとはなしに聞いてしまう。
(ごめんなさい。)
社会人になってまだ数年という感じの男性ふたり。
今日は、仕事がお休みなのか。
水曜日がお休みの業種って、けっこうあるよなあ。
とりとめのない会話の中から、スマホの知識が、わたしとさほど変わらないことがわかり、ちょっと安堵したりする。
彼らは、モーニングを食べ終わると、さっさと帰っていったが、立ち上がる前に、一人の男性が、ちゃんと手を合わせて「ごちそうさまでした。」って言うのは、気持ちよかった。
その後にきたのは、真っ黒の装束の3人組。
どうやら、親族のご不幸に駆けつけられたようだが、まだ、時間が早すぎたとのこと。
珈琲でも飲んで、時間調整をって感じである。
その3人組が、何か食べるかどうかで、かなり議論をする。
そして、フレンチトーストが、ケーキかパンかでもめている。
ウエイトレスのかわいいお姉さんに確認すると、
「はい。ケーキのようなものです。」
と答えていた。
えっ?言い切る?
ちがうやろ。それは。
まあ、かといってパンとも言い切れないけど。
生クリームが添えられてるからなあ。
結局、
「ケーキ?ケーキなんて、朝から食べられへんやん。そりゃあ、あかんわ。」
と、年配のご婦人の一言で、フレンチトーストは却下。
まあ、もめにもめた結果、サンドイッチのモーニングを2セットと、単品の珈琲を注文されて、3人で分けて食べることに落ち着いた。
よかった。
そこからは、親戚の話題が次々と。
私にとっては、全然知らない人たちのことだけど、なんだかわかる気になってしまうのは、どこの親戚の集まりも似たようなもんだからかなあ。
ふむふむ。かずおさん、そうやったんやあ。
ふむふむ。かずおさんて、知らん人やけどな。
面白かったのは、モーニングが運ばれてきたら、今度は、誰が食べるかで押し付けあいだした。
もう解決してるんかと思ってたけど。
そんな、はしたないことをしながら、一人時間を楽しむわたし。
とても、開放的な気分になる。
わたしのための わたしの時間。
誰かのための わたしの時間ではなく、
わたしのための わたしの時間。
時間て、こんなにも大事なもんなんやなあ。
そう思ったら、誰かのために自分の時間を使うって、すごいことやなあ。
それと、同時に、わたしのために、誰かが時間を使ってくれるってのも、すごい贅沢なことやなあ。
誰かのために時間を使う。
ちょっと無理してでも、時間を捻出してみる。
いつもではなくても、そういうことをできる人でありたいなと思う。
そして、わたしのために、誰かが時間を使ってくれるような、そんな人になりたいもんやなあとも、あらためて思う。
あと、3週間ほどで、わたしの誕生日がやってくる。
もう、欲しいものなんて、何もないけど、わたしのために、時間を捻出してくれる人がいたら、それは何より嬉しいなあ。
検査を終えて、大好きなパン屋のパンにむしゃぶりつく夫を横目で見る。
せめて、琵琶湖にわたしの時間を癒してもらおうかと、帰宅してから、湖岸を散歩した。
わたしの時間を満たしてくれてありがとう、琵琶湖~~~~。
わたしに美しい景色を見せるために、時間を割いてくれてありがとう、琵琶湖~~~~。
無理矢理やな。
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