お盆休み だったのか・・・
世間がお盆休みに入ろうとする直前に、宮崎県で大きな地震が起こった。
被害の様子に胸を痛めていると、まもなく、南海トラフ地震臨時情報が気象庁から発表された。
テレビのニュースは、もちろんそのことばかり。
ニュース以外の番組でも、画面の外枠には、ずっと巨大地震注意の呼びかけの文字が流れ続けている。
いったいどうすればいいのか。
なんとなく、避難グッズの用意はしているものの、決して安心できる内容ではない。
ましてや、自分のことだけを考えたらええんとちゃう。
離れて暮らしている親や、娘や孫や、
心配しなくてはならないものがいろいろとある。
ちょっと心臓がパクパクする。
バクバクまではいかないが、パクパクする。
そして、そのパクパクはずっとおさまらない。
おりしも、その日は琵琶湖大花火大会の開催日だった。
我が家の前の坂道からは、かなり遠くの方にあがる花火だが、
それでも、なかなか楽しむことができる。
花火が見えた後に、
見物人の「お~~~」という声が上がり、
それからしばらくして、
ドドドドン
という音が聞こえる。
音が後から。
けっこう後から。
光と音の速さの勉強をするには、めちゃくちゃいい教材やなあと
毎年思う。
ただ、我が家の前の坂道は、いたって普通の道路である。
住宅地なので、それほど車の通りは多くないんやけど、
おうちに帰るための車は、ちょいちょい通る。
そこに、わんさかと人が出てくる。
まっすぐな坂道やから、向こうの方に琵琶湖が小さくやけど見え、
その上にあがる花火を、さえぎられるものなく見ることができる。
だからか、あちこちから、ごそごそごそごそと人々が集まってくる。
同じ町内なんやろうけど、見たことない人もいっぱい。
いや、むしろ見たことない人の方が多い。
こんなにもたくさんの人が住んでるんやなあ。
と、毎年同じことを思う。
花火の打ち上げ場所まで行くのは難しいけど、
ここでやったら楽しめるわって感じのお年寄りも、楽しそうに見物している。
お年寄りやなくても、現地の人ごみや、帰りの激混み道路を思うと、とても行く気になれないって人もいるやろうし。
まあ、わたしやな。
それに、小さい赤ちゃん連れにも同じことが言えそうやわ。
足が不自由な人は、しっかり椅子持参で、座って見物してはる。
見る場所によって、坂道の傾斜が異なるから、
なかには、高さが低い、風呂の椅子をもってきて座っている人もいる。
なんかええなあ。
そんな場所に、ちょいちょい車が通る。
家路につかなあかんのやから、この道を通らなあかんのやろう。
道路なんやから、当然なんやけど。
でも、車が来るたびに、そこにいる人々は、
無言で
「もう・・・・・・・。」
と言いながら(言うてへんけど)、道をあける。
椅子を使っている人には、家族の人が、さっと椅子をもち、座っていた人の手をとって移動させる。
そして、車が通り過ぎると、みんなは
無言で
「行った、行った。」
と言いながら(言うてへんけど)、道の真ん中に戻っていく。
もちろん、また椅子も設置される。
ふと、見ると、自宅の屋根の上に寝そべって見物している人もいる。
「時間ですよ。」
ってドラマが昔にあったけど、その屋根の上のシーンを思い出す。
花火を見ている人々は、そんなにしゃべらない。
一緒に見ている家族の人と、少々感想を言い合う程度。
花火があまりにも迫力があって、みんな見とれてしまうようやわ。
そんな花火見物やけど、
なんてことはない花火見物やけど、
でも、今年はちょっと違った。
それぞれ、つい先ほど出された巨大地震注意の呼びかけに心揺れているはず。
不安な思いを持ってるはず。
確認し合ったわけではないけど、きっとそう。
そういう時に、たくさんの人々と共にいるってだけで、
なんだか気持ちが落ち着くから不思議。
地震への対応をもっと具体的に考えなくてならんのに、
怖すぎてつい蓋をしてしまいそうになっていたのを、
花火が終わったら、いっぺんストックされた食料品を確認して見よかって気にさせてもらえた。
なにも地震の話を、だれかとしたわけやないのに。
ただ、一緒に
「お~~。」とか、「もう・・・・。」とか言うてただけやのに。
一緒におるって、それだけで落ち着くというか、なんやエネルギーをもらえるというか、そういうことを実感できた出来事やった。
花火大会のその後の1週間は、ストック品の見直しや、1次避難用の荷物づくりや、避難時の段取りなどを確認することに、けっこう費やすことになった。
夫に、1次避難用の荷物づくりを頼んだところ、複数のリストを見比べて独自リストを作り、けっこう考えてくれていて見直す。
これって、面倒な作業なのに、よくやってくれたよなあ。
そう思いながら、夫作成の手書きのリストをのぞき込む。
あれ?
読めない。
字が汚すぎて、読めない。
リストやのに。
読めへんかったら、意味ないやん。
どうなってんの~~~。
まあ、それはしょうがない。
夫の字の美しさについては、とっくに知っていたんやから。
ちょっと悶々とはしたけど、ぐっとこらえて、
「ありがとう。」
なんて可愛く言いながら、荷物を背負ってみた。
あれ?
背負えない。
荷物が重すぎて、背負えない。
避難用やのに。
背負えへんかったら、意味ないやん。
どうなってんの~~~。
さっきの可愛い「ありがとう」を返して欲しい。
「あんなあ、墓石を背負わそうとしてるん?
こんな重いもんもって、避難できるわけないやん。
避難所まで、とても歩けへんやん。
(ちなみに避難所は、めっちゃ近い。)
誰かを助けに行くことも、できへんやん。
背負ったが最後、身動きできへんやん~~~。」
と、まずは、特大懐中電灯の予備用電池を取り出してもらった。
特大懐中電灯には、単一電池が6個。
その予備やから、さらに単一電池が6個。
合計12個。
これは、重すぎやろ~~~。
そのほかのものも、同様。
そりゃ、多い方が何かと助かることはあるで。
でも、まずは避難せんとな。
私は、自分で作成した連絡先などの必要事項の一覧を、そっと荷物に忍び込ませた。
そして、夫の手書きのリストを、あらためて表に作成し直した。
解読に、まあまあの時間を要しながら。
そんなこんなをしていると、あっという間に、大文字さんの日になっとった。
えっ?
お盆終わりなん?
お盆休み だったのか?
え~~~。
せっかくなのに~~~。
スーパーと、ホームセンターと、100均と、ワークマンに通うだけのお盆休みやった。
ギフボのお墓参りに行ったことだけが、お盆らしいことやったわ。