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死ぬのが怖いのか 死ぬまでの過程が怖いのか
乳がん再発治療も5年が過ぎた。
再発がわかった時から思えば、今は、もうびっくりなほど、つつがなく日々を過ごせている。
主治医のひょっこりはんによると、
”落ち着いたフェイズ”
とやらに、入ったらしい。
(ひょっこりはんというのは、わたしが勝手につけた主治医のあだ名。入院中のわたしに、カーテン越しに呼びかけてくれるんやけど、その声がめちゃくちゃ小さく、エアコンの音に負けている。ようやく気付いたわたしが返事をすると、カーテン越しに半分だけ顔を出して、体調を確認してくれる。その姿が、今は懐かしのひょっこりはんみたいやったから。ほんと、なにもかも控えめすぎの主治医。ただ、病状報告の時だけは、控えめ感ゼロやったなあ。)
この5年で、いろいろあったものの、終活すること2回。
主に、断捨離やけど。
5年もあると、2回はすることになるんやなあ。
そんなに物は増やしてないつもりやけど、
思っていた以上に、1回目の終活で見送っていたものが多かった。
このままやと、3回目もあるんやろか。
そんな日々を送っていたら、一か月ほど前から、ちょっと不穏な物体が
わたしの身体に現れてきた。
はじめは、ちょっとくりくりとした塊だったものが、ふと気づくと、ゴツゴツぐりぐりって感じにまで、大きくなっている。
しかも、場所はわきの下。
ちょっとやばいかな。
次の治療日には、ちゃんと報告せなあかんやろなあ。
いつも、
「はい。変わりありません!」
という言葉で、1分診療がほとんどやったから、ちゃんと話をせなあかんのは、なんだか気恥ずかしい。
いや、気恥ずかしいとか言うてる場合とちゃうやんなあ。
でも、
もう、どんな結果であっても、まあまあ覚悟はできてる。
これまで、何度も考えてきたことやし、なんせ、終活も2回もやってるんやし、心の準備はととのってるはず。
家族のことなど心配なことがないわけじゃないけど、
でも、それなりに、やっていけそうな様子がうかがえるし。
というか、それぞれのことは、結局、それぞれでやっていくしかないもんなあ。
そうそう。
終活の一つとして行ってきた、年金事務所。
繰り上げ受給の対象になった時に、どう考えたらいいのかを相談してみた。
めっちゃ早口な社労士さんの言葉に、必死で後れをとらんようにしがみつきながら、いろいろ質問をしてみた。
結局、
「年金は最後まで触るな!」
とうのが、社労士さんからのアドバイス。
障害年金なんかも、検討した方がいいかららしい。
と言いながら、
「でもね、もし、余命が半年とかになったら、すぐにもらっちゃいなさい!」
とも。
あっさり、はっきり。
そうか、そうなんか。
でも、余命が1年とかやったら、どう考えるんやろ。
まあ、そん時考えたらいいか。
そう思って帰ってきたのに、
もしかしたら、そん時になるやもしれず。
まあ、とにかく、次の通院治療日に、いやいや報告するか・・・。
覚悟はできてるんやから、今は、見た目が不気味ってこと以外は、何も不都合がないんやから、そのままでもええじゃないかとは思うけど、やっぱり孫のことが心配なので、報告するという選択やなあ。
延命というよりは、痛みや不具合の軽減と、万一、孫とわたしだけで過ごしている時に、なにやら不穏な体調になったらえらいことなので、それを防ぎたいというのが、わたしの願い。
こうして書いていると、
気持ちの整理もでき、診察の段取りもでき、今できることはやれてる感じがするけど、
それが、そうでもない。
夜中にふと目覚めた時、
朝方早くに目覚めた時、
料理を煮込んでいる時、
テレビ番組でCMに切り替わった時、
新聞の記事をひとつ読み終わった時、
歯磨きをしている時、
ドライヤーで髪の毛を乾かしている時、
部屋で死んでるカメムシを外に出した時、
靴下をたたんでいる時、
トイレに行こうとしてドアの前に立った時、
そんなふとした時に、検索しまくっているわたしがいる。
検索をしまくっても、最終的にドクターに診察してもらわないと意味がないのに、むしろ、よからぬ情報ばかりにひきつけられるので、かえってよくないのに、
まるで、今やるべきことはこれやなって感じで、検索しまくってる。
ちがうのに・・・・。
これって、覚悟はできてるとか言いながら、ほんまは、
死ぬことが怖いからやろか。
いや、死ぬまでの過程を想像して怖いからやろか。
それとも、もっともっと本能的なものなんやろか。
なんか、だんだんと雨雲に覆われてきているようなゾワゾワした感じがある。
ときおり白い波がしらが見える、夜の真っ暗な海みたいにヌラヌラした感じがある。
自分でもよくわからない。
もっとわかりやすい表現はないかなあ。
引っ越しをした翌朝に目覚めた時に、目に入ってきた部屋の様子。
引っ越し疲れで、深いふかい眠りの後やからなおのこと、大きく混乱する。
ここはどこや?
わたしの足はどっちに向いてるん?
この空気はなんや?
なんか地下4階くらいの慣れない空気やで。
わたしは、何階にいるん?
お腹空いてる?
すいてる。
昨日何食べたかなあ。
思い出せへんなあ。
なんか、千と千尋のお父さんとお母さんみたいに、でっかいびろ~んとした特大肉まんみたいなもんを、食べてたような気がするなあ。
と、こんな感じかなあ。
千尋みたいに、千になって、心細いんやろか、わたし。
ヘッダーの写真は、関ヶ原にある幸山というお蕎麦屋さんの揚げ餅蕎麦。
蕎麦の花を観がてら、足を延ばしてみた。
千のように、忙しく日々を過ごしてみる。
でも、ハクのようにおにぎりをくれる人はいないなあ。
だれか、おにぎりくれへんかなあ。
梅か鮭でお願いします!!