「永遠のおでかけ」益田ミリさんを読んで
私は、父にそっくりである。
ホームベース型の顔の形。
後頭部のでっぱり。
でっぱった前歯。
口角下がり気味の大きな唇。
どうやっても一重の目。
自分でも、びっくりするくらい似ている。
そんな父に、子どもの頃は、兄弟でこっそりとあだ名をつけていた。
「ブス子ちゃん」
それが、父のあだ名である。
妹が名付けたのだが、なかなかのセンスである。
楽しい話題でも、悪口を言っている時も、「ブス子ちゃん」と言ってしまうと、さらに面白くなったり、腹立ちがまぎれたりしたものだ。
しかし、よくよく考えてみると、父にそっくりの私は、自分にむかって「ブス子ちゃん」と言っていたのだな。
今になって、気がつくなんて・・・・。
益田ミリさんの「永遠のおでかけ」を読んだ。
それで、父のことを思い出したのだ。
私の父は、あまりおしゃべりな人じゃなかった。
父と交わした会話を覚えているってことが、父との会話の数を表している。
父のことを好きだったかと問われると、そこもわからない。
私にとって、父は、父であるだけである。
しかも、私にとって、理想の父親像っていうのは、「大草原の小さな家」に出てくるチャールズ・インガルスさんなのだから、そこと比べると、違いが多すぎる。
のちのち、夫に、その話をすると、
「ちょっと、それは、お父さんにとって、ハードルが高すぎやろ。」
と、夫は父にえらく同情をしていた。
父が亡くなって、8年近くになる。
時々だが、父のことを思い出す。
大きな霊園に、永代供養という形で納骨されている父なので、お墓参りといっても、なんだかよそよそしい。
だから、お墓参りにも行っていない。
たまに、実家に行った時も、
「あっ。」
って感じで、仏壇に手を合わせる。
冷たい娘である。
でも、一人でいると、父のことをいろいろと思い出す。
寝ているお父さんの上に、折りたたみ式の机を倒して、めっちゃくちゃ怒られたなあ。
懐中電灯を手渡すときに、面倒くさくて、嫌で嫌で、押し付けるようにして渡したら、渡したと同時に頭をたたかれたなあ。
97点のテストを見せた時に、100点じゃなかったら0点と同じやと言われたなあ。
お土産にカニを買ったで~と知らせるべく家に電話をするも、電話の受話器がはずれていてつながらず、怒った父は、帰宅するなり、カニを裏庭にぶちまけとったなあ。
と、ろくでもない思い出はたくさん。
しかも、あやしい自慢話もたくさんあった。
子どものころ、山の中で猪に遭遇し、とっても危険な目にあったらしい。猪がどれほど獰猛かという話と、その猪に対して、空手チョップで眉間を攻撃して退治したんだそうな。
絶対嘘やと思うけど。
受検の時は、睡魔と闘いながら勉強を頑張ったそうな。眠たくてたまらん時は、尖らせた鉛筆を自分の太ももに突き刺して、眠気を吹き飛ばしていたそうな。
これも、絶対に嘘やろうな。
でも、子どもの頃は、ほんまに信じとった。
猪に出会ったら、空手チョップやな。
テスト前に眠くなる私は、なさけないんやな。
ほんま、素直ないい子でした。
でも、いい思い出もある。
私の高校の卒業式に一人で出席してくれた。
父は、学校行事に来てくれるような人ではなかったので驚いた。
卒業式の後も、私が校舎から出てくるのを、ずっと待ってくれていた。
私が、駆け寄っていくと、照れくさそうに手を振って帰っていった。
式の後、教室で、友達となんやかんやとだらだらしていた私。
いったい、どれくらい待ってくれていたんやろう。
大学入試で、第一志望に落ち、浪人を希望した私に、大反対をしていた父。
浪人なんてしたって、意味がないやろ。
と、めちゃくちゃ怒っていた。
(関係ないけど、その時に母は、浪人なんてしたら、嫁に行けなくなる~。就職できなくなる~。と泣いていた。時代を感じるなあ。)
でも、結局押し切って、予備校にも行かずに、一人で勉強する道を選んで、なんとかかんとか次の年に合格することができた。
その時に、父は、私が大好きなケーキ屋さんで、ホールケーキを買ってきて、だまって差し出してくれた。
満員電車の中、このケーキを持って帰ってくれたんかあ。
いろんな言葉をかけられるよりも、すごくうれしかった。
その数年後、またもや、就職でもたついた私。
採用試験に落ちまくり、3年目にしてようやく合格。
その時も、言葉は多くなかったけど、不器用な笑顔で、喜んでくれているのがわかった。
「ようケツわらんと頑張ったなあ。」
とだけ、言ってくれた。
合格したことよりも、あきらめずに頑張りとおしたことをほめてもらえたことがうれしかった。
「永遠のおでかけ」を通して、またもや父のことを思い出した。
父のことを好きかどうか。
それは、今もわからない。
ただ、父との思い出が私にはいつまでも残っている。
それだけ。