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被害者をやめる

シニア社員に怒鳴られた後、やっぱり自分を労らないといけないな、と先延ばしにしていたメンクリに行った時の記事を載せます。

<ここから、記事>

先日、メンクリに行ってきた。
前回は勤務時間延長の診断書をもらいに行った9月下旬。気がつくと1ヶ月以上間が空いていた。

体調がすごく良いというわけではなかったけど、それほど悪いということではなかったのと(まあそんな状態じゃ働けないよね)、勤務時間が1時間延び、その後に診察に行くのが億劫だったというのが一番大きい。(でも、億劫になってる時点で疲れていると気づくべきだったよね。)

これまでは、仕事の帰りにメンクリに行っても帰宅ラッシュにぶつからなかったけど、勤務時間が1時間延びたから、その上クリニックに行くと帰宅ラッシュにぶつかる上に、帰宅時間も遅くなるから負担に感じていた。

また、診察に行こうと思うと、休診日だったり、金曜日は他の予定が入っていたりして、なかなか行けなかった。また、土曜日の診察は混んでいることが多く、主治医とゆっくり話ができないので、、、などと考えていたら1ヶ月以上空いてしまった。

そんなことをしているうちに仕事で理不尽に怒鳴られたり、上司との1on1でイラっとしたりしたので、これはそろそろ行った方が良いなと思った。

予約当日は天気が悪く、やっぱりやめようかな、週明けでも良いかなと思ったりもしたけど、このモヤっとした感情を溜めたまま過ごさない方が良いなと思って、行くことにした。

行くと決めたので、久しぶりに認知行動療法のコラム表を書いた。普段はイラッとしたり、モヤっとするようなことがあっても、そのままやり過ごしていることが多いけど、やはり書き出すことに自分でも気づかない自分の認知に一歩踏み込むことができる。

今回は、
上司に1on1で言われたこと
いつも待ち合わせに遅刻してくる友人がまた遅刻してきてイラっとしたことを書き出した。

また私は行動実験記録というのもやっているんだけど、自分が「こうなる」(大体は悪い結果)と思っていたけど、そうならなかったことも書き出している。

そこでは、
突発で仕事を休んで、翌朝出勤した時、同じチームのシニア社員に挨拶に行ったことを書き出した。

何かもやっとすることがあったら、自分の頭の中で処理していたつもりだけど、書き出すのは違う。

クリニックに着いて、診察室に入る時、私の次に待っている人がいないことを確認した。

診察では、怒鳴るシニア社員とメンタル弱ってる先輩の間で大変ですけど、まあなんとかやってます、から始めて、いつも通り診察を受けて、薬の処方を頼んで、恐る恐る認知行動療法の紙を出した。

すると主治医は「これまでみたいに30分の枠は取れないけど、時間は気にしなくていいわよ」と言った。(つまり全く問題なかった。)

主治医からは「認知行動療法定着してるわね、素晴らしい」と褒められた。

一連の事例について話した後、多分私がまた上司に言われたことについてモヤモヤしていたので話し続けていたら、主治医が「上司の方がそう言うってどこから来てると思う?」と尋ねた。

私は少し考えて「その人自身(=上司)ですかね。」と答えると主治医は「(上司の)不安です」と言って続けた。「その人は不安だからそうやって言ってくるのよ。」と。

私は「そうですね、確かに上司も評価とかありますしね。」と返答した。

私はコラム表の自分の解釈のところに「それはその人(=上司)の考え、私は良くやっている」と書いていたので、そこを指し示した。

すると主治医は「いいじゃない、あなたがよくやってると思うなら。」と言った。

「はい、そうです。以前の私なら評価されない、認められないって思ってましたけど、ここにも書いている通り、今は『それは上司の物差し』だと思えるようになりました。」

「あくまでもそれは意見として聞いておけば良いの。それであいうえおさんが苦しむ必要はないんだから。」みたいなことを言った。

以前の私なら上司のそういう言葉に過敏に反応していたけれど、以前に比べると随分聞き流せるようになったと思う。

上司とのやりとりの中で「私は先輩のフォローもしてるし、時短にしてはよくやってると思ってます。」と言ったら上司は「いや、あいうえおさんのキャパは普通の人に比べるとかなり小さい。」と言われて、嫌な気持ちになっていたのだ。

他の解釈として、私の能力はこの程度じゃない、病気さえ治ればもっと活躍できるはず、くらいに思っていたのかも知れないけれど、まだ時短の状況で勝手に期待されることがありがた迷惑と感じていた。

これがまた、そう言うのがプレッシャーなんですなんて言おうものなら、「そう言うところが良くない」とか言われそうな気がして(過去に言われた)言葉を返す気になれなかったのだけど、そんな一連のやり取りがあった。

そんなことを主治医と話していて、突然私が「でも私、先輩は体調悪いし、爺さんは突然怒鳴るしで、自分は被害者だと思ってたんですけど、被害者を辞めることにしたんです。」と言い出したら、主治医が「そうよ、自分が被害者ということは、自動的に相手は加害者になるってことだから。被害者をやめると勝手に加害者もいなくなるのよ。」と言った。

それは目から鱗の言葉だった。てか、自分が被害者になることで、相手を加害者にしていることなんて微塵も考えたことがなかった。さらに言うなら、自分が被害者ヅラしていた経緯として、「相手のせいで私は被害を被っている」と思っていて、基本「相手が悪い、自分は悪くない」と思っていた。

友人と話していても「それはひどい」と言われることがほとんどで、幸い?「被害者ヅラしてんじゃねーよ」なんて言う人はいなかったから、どんどん自分をかわいそうな方向に持っていって、それは相手のせいってずーーーーーーーーーーーーーーっと子どもの頃からその思考で来ていた。

それが主治医の一言でハッと目が覚めた。

そして私か主治医のどちらが言ったか覚えていないけど、「自分が被害者をやめると加害者がいなくなる。結局誰も悪くない。」という結論に至ったのだった。

そこまで深掘りしていって、やーーーっと、ぐちゃぐちゃになりかけていた思考が落ち着きを取り戻した気がした。

復職前にリワークや主治医との認知行動療法で知識は身についていたけど、復職前の人間関係って例えばリワークだと、ある意味隔離された世界だし、通所している人の中に異様にポジティブな人や急に怒鳴る人はほぼいない。むしろ優しすぎる人が多く、訓練の場でしかない。

自分も時々力が入って、弱っている先輩を責める口調になってしまったりすることもある。働いていると本当に色々なことがあるので、いちいちそれに反応せず、やり過ごしていくしかない。

という訳で、自分では大丈夫だと思っている時でも、ストレスゲージは溜まっていくから、メンタルケアのために通院は定期的にしようと思った。



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