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試験勉強

 去年も今年も、創作大賞の受付期間中に公開する文章全部に応募のタグを付けた。中身は全く以ていつもの文章である。そういうものだと思っていたが、どうやらみんな、創作大賞用に準備した渾身の一本を以て応募しているらしいと、最近になって気が付いた。

 もう随分昔のことだけれど、中間テストの日程が発表になって、近くの席で女子が二人嘆き始めた。一人は随分眼玉が大きくて、よく喋る。もう一人はこれと云った特徴の浮かばない、何だか地味な女子である。
眼玉「あ〜、またテストがあるんじゃねぇ」
地味「嫌じゃねぇ」
眼玉「勉強しとる?」
地味「しとらんよ」
眼玉「そうよねぇ。テストはね、実力を見るためのものなんじゃけぇ、テスト勉強なんか本当はやったらいけんのんよ」
地味「そうよねぇ、きゃははは✩」
眼玉「きゃはははは✩」
地味「きゃはははははは✩」
眼・地「きゃははははははははは✩」

 聞くともなく聞きながら、随分頭の悪い会話だと感心したのを、今でもしっかり覚えている。
 要は準備を怠ることを正当化しているのである。この分ではきっとろくな大人にはなるまいと思ったけれど、四十年経って振り返ると、存外自分も同じような考えでやってきた。
 自分はこれまで幾度か職を換え、その度に面接を受けたが、履歴書と職務経歴書を揃える以外の準備はした験しがない。
 面接とは応募者の人物を見るものなのだから、受け答えを練って行ったのでは意味がないと、本気で思っていたから、受かるかどうかもわからない職場や仕事のことを予め調べたり、受け答えのシミュレーションをしておくなんて、考えたこともなかった。これでは例の眼玉女子と一向変わらない。
 その辺りの心構えが違っていれば、事によると今頃はもっと貴族のような暮らしを満喫していたのかも知れない。そう思うと少し腹が立って来たけれど、じきにどうでもよくなった。


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