通院日
今日は病院だ。最近は時々、あと何年通うのかと考える。
それにつけても、生物って謎だと思う。何億、何兆(人間を形作る細胞はいくつあるのだろうか)の細胞が1人の人間を形作り、形作られたものを維持しようと、毎日毎日生まれ変わったりして活動している。
形作られたものは、身体を構成する細胞を意識する事なく、1個体として意思を持ち活動する。
大概の意思は細胞の活動とは関係のなさそうで、それが細胞から作られたかどうかも定かではないように思える。
細胞レベルは別の意思を持っているであろうに。それとも同じ意思を持っているのだろうか。
一見無関係そうな細胞と精神がひとつ所に収まって、成り立っている。目に見えるものを目に見えないものが司っている。そんなように思えるけれど、精神さえもある種の信号として可視化できるのものなのだろうか?
電気や電気信号もそうだけれど、目に見えない、一見単純な刺激を与えているだけのようなものが、限りない世界を形作れるのはどうしてなのだろう。
そんなことをつらつら考えながら、待ち時間を過ごしている。
病院庭園で見る空はいつもきれい。変化の少ない冬だけれど、梅のつぼみは膨らんでいて白い花びらが見えはじめていた。次の通院日には花を咲かせているだろうか。
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