今週の病院庭園、すっかり新緑の季節を迎えていました。ここを訪れる機会は減ってしまったけど、いつ来てもホッとする。
今年の桜はのんびり屋さんだったけど、他の植物は待ちきれないのかフライング気味。2週間くらい早いよね。GW頃に見かけるフジもツツジもどんどん咲き進んでる。夏の訪れも早そうだ。そんなに急がないで、春をゆっくり楽しませて…今日はゴージャスなボタンを楽しみましたが。
今週の病院庭園ではツワブキが咲いていた。晩秋デスネ。そして花壇には冬春用のパンジーとストックが並んでた。次は1ヶ月後。選択は正しかったのだと、40年後に思いたい。ジブンノカラダはもう高額なクスリを必要としていない。後は犠牲にした部分を癒すだけ。完全再生までもう少しの道のり。
病院庭園ではコキアがちんまりと並んで赤く染まっていた。今日は治療継続か、経過観察移行かの選択肢をもらった。吉と出るか凶と出るかは分からない。薬のエビデンスもない。あるのは漠然とした不安だけ。正解は私の身体だけが知っている。でも私には分からない。私の願望と身体の望みは合ってるかな。
本当に人の気持ちはわからない。わかったように思えても、自分の気持ちを相手に反映させているだけかも?直接言葉を聞いたとしても、その解釈には自分の想像と願望が影響しているのでは。共通認識と呼ばれる物さえ少しずれているとしたら?自我を捨てればよいのか?そしたら、ただ空っぽなだけだ。
つい最近まで暑かった記憶しかないのに、いつの間にか山茶花が咲く季節に変わってきた驚き。秋は他の季節より静寂が深い。オナガのギーギーいう声だけが妙に響いて寂しさが漂う。丸く膨らんできた菊のつぼみに日の光が弱々しくあたっていた休日の朝、薄いベールがかかっているみたいだった。
このところ、街中でキンモクセイの花が主張している。病院庭園でも。少しひんやりした空気に微かにその甘い香りを紛れ込ませ、庭園内に漂わせていた。昼頃の暖かい時間になるとますますその香りが溢れ出すだろう。病院に向かう途中、地面に椿の実が落ちていたので横を見ると、椿の実がはぜていた。
先週、車窓からぼうっと薄ピンクに染まっている木を見かけた。ああ、十月桜が咲く頃だったと、近所の公園に見に行った。ここの桜はやっと咲き始めたばかり。来月にでも、もう一度見に来よう。それにしても、これから冬まで咲いた後、2、3ヶ月後にもう一度咲くというこの種の性質は不思議。
まだまだ夏の名残りも多いけど、紫式部だろうか、道路脇の空地で静かに色づき始めていた。こんなところにいるのは鳥の仕業か。この実が鮮やかな紫に変わる頃には、すっかり涼しくなっているだろうか。
楽しい思い出と一緒に生きるのは難しい。心の底に残ってるのは傷や後悔の残骸ばかり。楽しかった思い出はすぐに抜け落ちてしまう。どうしてだろう。みんな楽しい思い出づくりに勤しんでるというのに。記憶回路はちょっとマイナス仕様。改造するか取り換えないとハッピー仕様に出来ないみたい。
お彼岸には彼岸花。昔は、ちょっとこわい花だったけど、今はそんな話もあるんだかないんだか。それにしても、こんなにあちこちで気軽に見かけるほど、身近な野草だったのか、それとも人の手で植えられたものか。ちょっと謎な感じです。昔はそんなにあちこちで見かけ記憶はないのだけれど。
昨日は通院日。暑さが続いたせいか、庭園のケヤキの葉が半分以上茶色になっていた。紅葉じゃないよね。サクラの葉も半分以上落葉している。木々にとっても大変な季節だったのかな。それとも最近涼しくなってきたせいで、夏の疲れが出てきたのかしら。早目の冬眠を目指しているのか、自衛手段なのか。
昨日病院前で勢力をのばしていたナス科の花。調べてみたら、どうも外来種で有毒のワルナスビみたい。「雑草」の名前って変わったものや、えっ、と思うものが多いけど、名付けた人の気持ちがこもっているんだろうな、良くも悪くも。植物はそんな事はおかまいなしに繁殖征服に勤しんでいるみたいだけど。
今日は通院日。病院庭園ではあまり変化が見られなかったが、玄関寄りの植え込みで白い小花をつける輩が。これは、そう、きっと。この草を見るたびにあの超人気アニメの登場人物を連想してしまう、同じ名前だと思う。その名はイタドリ。この花も秋のしるしか。先週土曜日にはニラも咲き始めていたっけ。
夏休み気分の8月は終わってしまった。9月。夏という感じでもなく、秋というにはまだ早い気がする夏と秋の間。祭の後の寂しさが漂う季節。そう感じるのは、子どもの頃の感覚が染み付いて離れないからか。8月と9月の間には断絶があるのか、他の月のように滑らかに移り変わって行くことはない。
ひっそりと 夜はその影をのばし 秋は北からやってくる 夜風は涼しく 北向の窓から流れ込む 虫の声とともに 微かに胸が痛むのは 夏の名残のせいか 秋の冷えのせいか