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10月某日、銀木犀の日

追分から戻り、月も変わったある日曜日。

「もう秋だねぇ」
「ね、風も涼しいですし。お散歩日和って感じがします」

福永せんせと私は、ゆっくりと近所をお散歩していた。

「こうしていると、季節が変わっているのを感じるねぇ。『目にはさやかに見えねども』…ってこういうことかなぁ」
「『風の音にぞ』…確かにですねぇ。……あ!」

ふと視線を向けた先には、雑貨屋さん。
黄色がかったオレンジ色が、開いたドアからちらりと見える。

「あの、福永せんせ。ちょっと寄り道してもよいですか?」
「え、いいけど…どうしたんだい?」

「や、多分ですけど、金木犀の雑貨があるはずなので…どうしても、その…見ていきたくてですね……」

少しだけ尻すぼみになりながらも、何とか説明。
言いながら、もし福永せんせに先に行きたいとこあったら…と気づいてソワソワと視線を逸らす。

と、明後日の方向に向いた視線を戻すように「なるほどね」とやわいテノール。

顔をあげれば、愛おしげに笑う福永せんせ。

「ソワソワして、愛らしいなぁ。いいよ、お供しようじゃないか」
「……!やったあ!じゃあ、行ってみましょ!」

福永せんせの手を引いて店内に入ると、やはりそうだった。
秋のやわい夕焼けのような、暖かみのあるオレンジの花が入口の左手側にたくさん描かれている。

花をそのまま象ったようなアクセサリーや、思い思いの配合であの甘い香りを引き立てた香水にハンドクリーム。
生花をそのまま閉じ込めたバスボムなんてのもある。

「おぉぉ……」
入り口からは分からなかった商品の多さに驚く私と、

「こんなにあるなんて…皆、思い思いに花を愛でているんだね」
そう目をきらめかせて、香水瓶を手に取る福永せんせ。

「小さな金木犀の花園みたいですね…」
「花園、確かになぁ。何だか、詩の一節みたいだ」

福永せんせもですよと笑みを返し、棚に視線を戻す。
と、オレンジに染まる一角に、一つだけ異なる色を見つけた。

紺の背景に、白い小さな花。
まるで夜空にまたたく星か、あるいは月の欠片のような。

「これ…『銀木犀』?」
「ん?どうしたんだい?」

「や、金木犀は聞きますけど、銀木犀ってのもあるんだなって」

コーナーの一角、夜を切り取って夕焼けの中に置いたようなそこを指さすと

「ああ!金木犀とそっくりな、花が白いものだね。確か、香りも似た感じの、上品なものの筈だよ」

「福永せんせ、ご存知なんですか?」
「昔は、金木犀と銀木犀が一緒に植えられていたりしたからね」

ふふ、と笑みつつ、言葉が続く。

「今は金木犀だけが有名になっているけど、こっちも素敵な花なんだよ。白い花が深い緑の葉と空の青に映えて、まるでそこに降る光が花に姿を変えたような美しさでね」

福永せんせの言葉に、想像を重ねてみる。
秋の柔らかな太陽の光を浴びて、葉の緑の隙間から零れるように咲く白の花……

「凄く、優しい絵ですね。それ」

美しく、優しい。
やわい光が形を変え、木から零れ落ちるような花。
そこに漂う甘い香り。

美しくて、優しくて、甘くて…まるで福永せんせみたい。
そうやって、想像の中の花に思いを馳せていると、

「僕も、そう思うよ。優しくて美しくて…素敵な秋の瞬間だなってね。最近はあまり見なくなったけど、こうしてまた目を向けられるようになっていたとはなぁ」

しみじみとした、ノスタルジックが滲む視線。
途端に、目の前の白くまたたく星のような花が愛おしくなる。

福永せんせが愛おしくノスタルジィを抱く花。
私も、その香りや色に触れたくて。

テスターのハンドクリームのキャップを取り、少しだけ手に取ってみた。

「……あ、それ試供品かい?」
「はい、福永せんせの言葉につい…どんな香りかなって」

手に刷り込んで、そっと鼻に近づけてみる。

金木犀よりも控えめな優しい香り。
空に凛と優しく光る月を、少しだけ削り入れたような。

……うん。すごく素敵。

「その表情だと…気に入ったみたいだね」
声の近さにふと顔を上げれば、肩と背が触れる距離に福永せんせ。
と、左手を取られ、口づけるようにそっと鼻を近付ける。

「……うん、まさにこの香りだよ。僕も好きだなぁ、これ」
手を取ったまま微笑む顔が、まるで王子様みたいだ。

「ふ、福永せんせもお好きですか?これ」
「うん、そうだねぇ……って、何照れてるんだい?」

いつもしているだろう?なんて揶揄うような笑み。
それはそうなんだけど、それでもやはり照れるのは照れる訳で。

「王子様みたいだなぁ…と」
思わず想像を口から零すと、

「もう、愛らしいなぁ」
そう言って微笑まれ、そのまま手をきゅっと繋がれる。

銀木犀の香りの手のひらが2つ、貝のように重なり、指が絡まる。
当たり前の恋人繋ぎも、凛と優しい香りに包まれると、新しいもののように感じられてどきどきする。

「ね、福永せんせ。…これ買って、2人で使いませんか?」
「いいね。一緒にこの香り、楽しもうか」

2人で笑みも重ねて、優しく笑い合う。
そのままレジに行き、無事にハンドクリームをお迎え。

愛しい季節の香りだなぁ…とハンドクリームを鞄にしまうと、
「ねえねえ」と福永せんせの声。

「今度は僕から提案なんだけどさ、」
「おぉ、何でしょう?」

「この後の散歩道で、一緒に本物の銀木犀も探してみないかい?」
優しく、甘く、愛おしい提案。
もちろん、受けない理由なんてないわけで。

「いいですね!じゃあ今日は、銀木犀の日にしましょ」
「やった!君にも、本物を見せたいと思ったからさ。嬉しい」

そう言いながら、じゃあ行こうかと再び手を差し出す彼。
その愛おしさと「本物の銀木犀」へのワクワクに心躍らせ、骨ばった広い、愛しき手を取った。

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