一体私はいつまで自分のことを嫌い続けるのだろう。 研究室の先輩方との食事会後、酔いも醒めてきた帰路にてふとそんなことを考えた。 「自分のことが嫌いだ」と思い始めて何年経っただろうか。 その思いは年々増すばかりで、それに伴って苦しい気持ちも増していく。 嫌な部分が年齢とともに増えていく。 嫌いな人間がずっと張り付いている息苦しさ。 自分が嫌いならそんな自分を変えるように努力すればいいのに、それを怠って自分が嫌いだと呆けている。 自分嫌いな自分への陶酔じゃないのか。 むしろ
髪の毛がどうしようもなくなってきたので美容室に行った。 美容室は好きだ。美容師さんと話すことは苦手だけれど、それ以上に髪を触って、切ってもらう感覚が好き。シャンプーと共に疲労が流されるし、髪を切るときの鋏の音も心地良い。 だから私は美容室に行くのが楽しみだった。 なりたい髪型を見せて美容師さんにアドバイスをもらう。カットの詳細についての説明を受ける。 そしてシャンプー台に案内されるが、その前に 「マスクが濡れてしまうかもしれないのですが、外しますか?」 と尋ねられた。
怠惰な週末を過ごした。 やらなければならないことなんていくらでもあった。 研究、勉強、部屋のお掃除、一週間分の昼食の準備。 ほぼすべてを放り投げて怠惰な週末を過ごした。 寝て起きてスマホを見てゲームをして寝て、ご飯を食べて、寝て。 仕方ないからお風呂に入って最低限のスキンケアをしてまた寝る(おかげでニキビができた)。 起きる。ご飯を食べる。寝る。起きる。自己嫌悪に陥る。スマホを見る。恋人と電話を繋いでゲームをする。ご飯を食べる。ごろごろする。 さすがにまずいと思
こちらは少し前に書いた文章です。 ゴールデンウィークのお昼時、私は商業施設のレストランフロアを通り抜けていた。大型連休だけあって賑わうフロアには様々な音が響いていた。食器の触れ合う音、料理が焼けている音、そして人の話し声。たくさんの人が話しているはずなのに、その会話は私の耳に入ってこない。人々の声が、複雑に絡まった綿の塊をつくって、私の耳に当たっていくようだった。私の中に入ってくることのない音が、生ぬるいレストランフロアの空気と共に耳に当たる感覚を楽しみながら私は歩いてい
先日、noteに初めて記事を投稿した。 noteのアカウントを作成し、すぐにでも自己紹介の記事を投稿しようと思っていたのだが、そううまくはいかなかった。時間がなかったわけでも、書く内容が思いつかなかったわけでもない。ただ、自分の記事を公開するのが怖かった。自分が生み出したものが不特定多数の目に触れる可能性を考えると、途端に言葉を綴ることがとても危険な行為に感じられた。何度も聞いた「言葉は刃物」というワードが脳裏をよぎる。レポートの作成で慣れているはずのタイピングをする手が
はじめまして、須賀千明と申します。ここでは私自身について少しだけご紹介します。興味があればお読みいただけると幸いです。 私について 須賀 千明(すが ちあき)です。詳しくお伝えすると個人が特定されそうなので控えますが、今は大学に通っています。 こういったところでご紹介できる趣味があればいいのですが、これといったものは特になくTwitterとYouTubeに浸かる日々です。何か文化的な趣味を見つけたいと考えています。このままだと空虚な人生を送ってしまうのではないかという